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​シバタコーヒーの珈琲焙煎

​コーヒーの味をキメる最大の要素は、生豆の品質であることは疑う余地はないでしょう。産地や標高その他精製などで、ほとんどその要素は決まり、それ以降の焙煎、抽出でコントロールできることは限られています。ですから、俺はケニアで、いやブラジルで。という前提のチョイスが飲む方の好みで最初に行われるのです。そして最後は美味しくなあれと念じること。

​焙煎の考え方

​当店の行う焙煎の要素は、基本的な豆の特性を限りなく損なわない。ということです。

なにかといえば産地や標高で、その豆の味は大方決まり、そこに農園や精製方法で、生産者が願う焙煎の度合いが、うっすらと見え隠れするからです。

つまりは、深く焼くものと、浅くても良いものは最初から決まっていて、焙煎士は、ただその声に寄り添うのです。

大別すれば良い豆は浅く焼いても欠点が目立ちにくく、多少量産物でも、深く焼くと欠点が隠れる。と考えてください。それこそが豆の持つキャラクターというものです。

ゆえに「うちは深煎りだから」といった感じで方針を縛るのは、豆が勿体無いかもしれません。

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そしてエージングですが、浅煎りと深煎りではその飲み頃が異なります。

しかし焙煎を成功したものは直後からも美味しく、熟成すればなを美味しいというのがジャッチの基準になります。

 

どんな豆かに関わらず、その時の焙煎士の自信と意気込みが焙煎には反映され、体調と気分、そして自我が出てしまったりします。

それじゃぁ商品としては駄目なんですけどね。

アンダーデベロップ並びにオーバー。スコーチとベイクド。これら全て焙煎士の独りよがりと確証のなさが招きます。

ここをできる限り平均化するのはなかなか難しいので。バッチ数を重ねて、混ぜ合わせ平均化する方法が、とられました。

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昭和の日本の喫茶店が深煎りだったのは、コモディティーが主流であったことが要因としてあげられ。現在はハイクオリティーの豆が購入しやすくなったというのもコーヒー業界の現状です。

そこには流通に広がりが出て、一部の商社の独占事業ではなくなったということもあり。

かつてはブラックボックスだった焙煎方法も、各地でセミナーなどが行われ一般にも広く開示され始めたことも普及の要因。

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誰でもご家庭で、その気があれば焙煎ができる時代になりました。

しかしそこは料理です。決して機械が行うのではなく、最終的に人間がジャッチするのです。

フルオートのプロファイルで焙煎が行われている現在においても、人間力が最後を決める。

その要素を具体的に挙げるなら、投入時の窯の温度。途中のRORの捉え方。最終段階の筆の止めどころ。焙煎はまさに化学です。

それを最初のカッピングで見極め、道筋を決めるのも、やはり人間だもの。最後はセンサリーですよ。

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「判断はオレがする」これはキャブセッティングに非常に近いなと感じます。誰でもできるけど、誰にもでもできるわけではない。

いわば焙煎士次第。それが当店の考える自家焙煎の定義であり、焙煎をあえて行う意義でもあります。

豆だってできれば美味しく飲んでほしいでしょう。惜しいことに、豆の声が聞こえるまでには到達していませんが。

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ゆえに、あらゆる焙煎機が導入されているお店に出向き、飲んでみて。意気を感じれば涙して抱き合い。日々互いの健闘を讃えあう。

コレは店側のはなしですが。その度に当店の味もリセットされてゆく。

基本を知り、そしてそこから離れて、自分はどうする?。それが広がりだと考えます。もしそれがないなら、あえて自らの店を出店する必要もないのではないでしょうか。​

無論お客様の好みというものもありますから、浅煎りと深煎りを、それに見合う豆を使って用意します。

 

最後は抽出ですが、これも多くの要素があり、日々トライアンドエラーを繰り返し、本当に美味しいと思える取り出し方を考えています。

ブュリュワーズカップという大会が行われるほど、その方法は千差万別。日々進化、毎年ブラッシュアップが行われて、新しいドリップが試されています。その傾向も変化していて、正解もない気がします。

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ミルやドリッパー、ペーパーによる味の変化も重要になります。素早く落とすのか、浸漬で溜めるのか?当然挽き目も異なります。

これだから珈琲は奥が深い。なかなかお客さんからお金をいただけるレベルのものには到達しませんね。だから楽しい。

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旨い珈琲は言葉を失い、不覚にも涙が出るほどの食品です。その領域に到達できたら、いずれ300円くらい、いただくかもしれません。

私の師匠が言いました「生豆は売らないよ、これは宝モンだからね。」「嘉信(かおり)は現在も進化しているんですね」「むしろ深化だよ」

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東の空に礼拝....。

​思想か嗜好か

​珈琲はよくわからないのでどうでも良いです。と時々いわれます。

酒も、珈琲も嗜好品ですから、生きるためには必要がないものかもしれません。しかし、全世界にはファンがいて、人生を賭けて楽しんでいる方々がいることも事実です。先の方のような、一見あきらめてしまったように見える方でも、多少の興味はあるようで、まぁそう言わずに、と席に着いていただくと、皆様嫌ではないようで、そしてコーヒーを出されると、飲んでいただけている。ということはけして嫌いではないんです。

そこにある、思想の強さみたいなものが敬遠されているのではないでしょうか?

 

室町時代に、千利休によって始められたといわれる侘び茶は、狭い個室に二人で向き合って、互いを開いて話をする。ということもその働きの一つであったようです。これを存分に利用したのは家康でした。家康は実は茶が嫌いで、自分では苦痛だったようです。しかし、関ヶ原前夜、京都の茶室に武将を一人ずつ呼んで、「あなたさまこそ党第一の武芸者とお見受けする。いかかでしょうこの家康にお力を貸していただけないか?」と目一杯の笑顔でもてなしたといいます。

茶の湯も現在の珈琲も、こうしたコミュニケーションツールとしての働きがある面も無視できないでしょう。

​酒ではないですから、頭はスッキリ冴えて、いがいなアイデアの花も咲きます。

 

コーヒーが好きではない方の多くが、「別に旨いものでもない。」という経験をなさっているのではないか?と考えます。

たとえばインスタントでも、その粉の量と湯の量を考えて淹れているかたはほとんどいないでしょう。実は、コーヒーを美味しく飲むための第一段階が、この粉とお湯の量にあります。これを一般的にレシオといい。薄ーいヤツとかニッが!みたいなコーヒーを作る原因が、この抽出レシオにあります。これは産地以前です。

つまり、皆様も日常的に、この辺りに注意することで、普通に美味しいと思える珈琲が飲めるようになります。

いまはまだ美味しいコーヒーに出会っていないだけなのではないでしょうか。

 

ここからは少し細かいですが。

深煎りという苦めのコーヒーと、浅煎りという酸っぱめのコーヒーでは、お湯の温度に違いを持たせる必要があります。いわゆる酸は、高温のお湯の方が開きやすく。同時に苦味も出てしまいます。反対に、深煎りを低温で抽出すれば、苦味は和らぎ丸味が出ます。そして、はやく済ませるか、じっくり向き合うか?このチョイスも重要で、皆様の好みに持っていくこともできます。

 

珈琲というものには、どうしてもこうした思想がついてまわり。そこにこだわる方々は冷めた目で周りから見られたりします。

​まず初めに、嗜好品だといいましたよね。ようは、生きる上であまり関係ないことならなおのこと、こういう余分なメソッドが、人生を豊かにしたりするものなのです。

皆様の日常に、ほんの少し、のんびりした時間を与えてあげても良いんじゃないでしょうか?それはあなた自身へのご褒美として。​​​​
 

Appia . mecccanica - Shibata ~ Racing

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