みのるほどに
- shibata racing
- 5 日前
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更新日:4 日前
いよいよ10月を迎えようとしています。近くの田圃の稲は、大きく穂が垂れて、刈り入れを待つばかり。夏の高温で心配されましたが、今年も無事に米はとれそうです。

2025年9月26日
田圃の先にポカリと浮かぶような、うすら霞の赤城山を見ていたら、太宰のことを考えてしまいました。津軽平野の岩木山に似ていたからかもしれません。
この人ほど誤解の多い作家も少ないと思います。ほとんど、理解されていない。
結論からいえば、この人は良い人です。
良き家庭人であったか?良き隣人であったかは、問題ではありません。無論迷惑を被った方々もたくさんいたでしょう。
私は、このかたの生家を何度か訪ねています。今では街の呼び物はここだけ。という風情で、手厚く保護され、本州の最北端にもかかわらず、ここを訪れるお客さんは絶えません。
では、作品はどうでしょう。その大半が私小説。つまりは自分語りです。例えば女性の口を借りて、自ら語ることもありますが、ほとんどが、その人そのまま。
特にエッセイがいいですね。
富嶽百景からから始まる、結婚直後の貧しくも前を向いている頃のものが、そのキャリアの華。とも言える時期でしょう。この頃のものは、みんな良いです。
奥さんの実家のそばの湯村というところで、結婚生活が始まります。
そこは甲府盆地の中程にあります。そこには温泉があり。といっても温泉地という雰囲気は今でもなく。盆地の平地に、ポツンとあるのですが。ここを舞台に書かれたエッセイは「畜犬談」や「美少女」などです。
その頃は、映画も無論テレビドラマもありませんから、そういうものを書き物が担っていたわけです。
太宰のエッセイは、まるで映像を見せられているように、リアルです。さしずめユーチューバーのようです。
「美少女」のなかの一節です。
茹だるような盆地の夏にやられて、頭がボオッとしている太宰。奥さんは背中が汗疹だらけになって、皮膚にいいとされる湯村の温泉に通います。
いいからと奥さんに誘われ、どうせ暇だからと、太宰も、付き合うことに。湯船は混浴で、すでに五人ほど入っています。
老夫婦一組と、孫を真ん中に置いた、やはり老夫婦がもう一組です。
「ぬるい」猛烈にぬるい冷泉に驚く太宰。奥さんは隣で知らん顔で目を閉じています。
あたりを観察していると、その孫らしき少女がぬくっと、当然全裸で立ち上がります。その背の大きさと、ゴム毬のようなぱつんとはった白い肌に圧倒されます、どうやら子供かと思ったら、17歳くらいの孫のようです。うっすらと笑みを浮かべたその娘は、白痴なのか?と思われます。
太宰の前を堂々と横切り、飲泉をアルマイトのコップでガブガブ飲む姿、それを見て「いいぞもっと飲め」とエールを送る、その子の祖母。
別の老爺から「あんたも飲みなさい」と促される太宰。肋骨が浮き出した自分の貧相な体を見た老爺が、病後のものだと思ったらしいと、一人語り。うっすら愛想笑いで返しますが、どうにもコミュニケーションが取れず、「俺は先にあがるよ」と奥さんに言い、ほうほうの体で、温泉から逃げ出します。
この一連の描写力の凄さは、読み手をいっきに湯村温泉の湯の中まで連れて行きます。
今年の秋のツーリングは、仲間を連れ立って、御坂峠へ向かいましょう。
天下茶屋の二階の窓から、へばるほど対峙した富士に会うために、そこでドテラを着て三ヶ月、フラフラしていた太宰に会うために。
