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ときつぐるヤギ
男は時計にこだわる。それはひとつのアクセサリーとして、ときにみずからの象徴として。 昨今では、時計を持つ人は減り、電話がすべてを受け持っているようである。 運よく、私は時間に縛られない生活をもう30年以上続けさせていただけているため、おおよそわかれば良い。 腹が減ればなんとなく昼。ぐったりするとなぜか三時頃。もう寝るか、となると大体10時頃。みたいな。体内時計がそのほとんどを受け持つ。 ただ、男は、どうにもこういったギアには、憧れを持つようである。 私の憧れの時計は、オメガスピードマスターという。 アポロの飛行士が月面に降り立った時に腕につけていたというもの。汚れた英雄の北野晶夫が、ブルジュアの先輩から、メカニックをやる限り、こういった時間を見るものは必要だろう。と譲り受けたもの。それだが。 いかんせんこの初期型スピードマスターという手巻きのクロノメトリック時計は高価で、200万円とかする。 流石に、そういうものに金を出す気は起きない。私が時計に出せる最高額は、3万円がリミットだ。 その程度のこだわりだということだろう。 もう30年くらい、私の時

shibata racing
4 日前読了時間: 3分


600マイルの価値
私が高校生の頃だから、もう45年も前のことになる。 週刊プレイボーイで、連載されていた漫画があった。それは「ケンタウロスの伝説」という実話とフィクションを混ぜたような、横浜のオートバイ乗りの話だった。 地方の片田舎の人間。特に松田優作や藤竜也に憧れて、プロハンターの草刈正雄を毎週見せられていた多感な若者にとって、横浜は特別な響きを持っていた。強烈な憧れ、そこにゆけば男になれるかもしれない。と私は考えていた節がある。 どんなところなのかなぁ、ブルースが街に溢れて、いきなおとこたちがいるのかなぁ。イカしたレイディー、マダムに会いたいなぁ....。 いまだに憧れのままの私は、物語の中の横浜しか知らない。 その漫画は、オートバイ乗りの心情を、ケンタウロスの男たちからの目線で見せられたような物語だった。 彼らは横浜にあるミントンハウスというカフェにたむろしている。偶然街で見かけたRZ250に乗るいい女のあとをつけて導かれたのがそのカフェだった。中にはガラの悪そうな男たちがいたが、誰もそこに紛れ込んだ若者のことなど気にかけない。 些細な喧嘩が起き、それを仲裁

shibata racing
5 日前読了時間: 4分


忘じがたきふるさと
先日少しだけ触れた、薩摩焼の沈壽官さんの話をしたい。 ここで話すのは、現在のその人ではなく、そのお父さんにあたる十四代当主のお話である。 薩摩焼というものは、土ものである。磁器ではない。 千利休がひらいた侘茶は、戦国武将たちの間では、嗜みとして、そしてもうひとつ、悪巧みの秘密の小部屋としての側面があった。 わずか畳2畳の閉鎖的な空間。そこに入るには、長物の刀は腰から外さなけば入れない。 躙り口という狭い引き戸から這いつくばって入室する。そこでは位の上下は無論、敵味方もない。 マインドを広げて心を通わせる。という大切なコミュニュケーションの場として機能した。 信長や秀吉は、戰の褒美として茶器を家来に与えた。 今でこそ、「なんだ茶碗か」と思うかもしれないが、当時の日本における器というものは基本的に、素焼きの鉢のようなものだった。 釉薬がかかって怪しくひかり。その中に宇宙を思わせつような窯変。その代表は天目じゃわんである。 今で言えば、宝石や自動車。絵画のような権威性を持っていたのが茶器全般であり、そのほとんどが舶来品。国内における生産スキルはまだなか

shibata racing
5 日前読了時間: 5分


あさきゆめみし
当店のシバタコーヒーも、だいぶお客さんに認知されてきて、多数の方々に喜んでいただいている毎日です。 暖簾をくぐる勇者の皆様、ありがとうございます。シバタのくどい蘊蓄にもめげないチャレンジャー達です。 いよいよ自家焙煎に舵を切った当店も、日々トライの結果、浅煎りと深煎りの二種類を置いている。 これには、従来からのコーヒーファンは圧倒的に、フルボディーのどっしりとした味わいを好み、世の中のトレンドとも言える浅煎りコーヒーには、馴染めないようなのだ。当然、豆も二種類で、特性が活きるようトライを重ねている。 「浅煎りってアメリカンのことか?」と思っている貴兄諸氏も多いことと思うので、ここで一度、きちんと整理しておきたいと思う。 この日本ではまだまだ浅煎りは認知されていなくて、一生飲まずに終える方々もいるかもしれない。 これは、焙煎における焼き上げのタイミングの話で、じっくり焼くと、甘みが増したり、深みが増したりするのに対して、あっさり焼き上げると、華やかな香りとか、フルーティーな酸味とかが目立ってくる。この辺りは複雑で、誰も読みたくないだろうから割愛する

shibata racing
6月12日読了時間: 5分


美しいと綺麗
新車でも、旧車でもいつも顔が映るほど綺麗に磨かれてガレージに入れてあるような方に会う。 そこには二種類あり、いつも乗っているのだけれど、走行後は必ずすべて磨き込んでからしまう人。基本的に乗らない人。と、分類される。 何が言いたいのか、もう皆さんにはお分かりでしょう。ようするに、シバタは乗らない人を認めないのだろう?まぁそんなこともないけど、機械は使ってこそ意味があり、喜んでいるように見えるのは確か。 たとえ一台しか持っていないオーナーでも、全く乗らない人には容赦なく、「もう売ったら?」という。 大きなお世話で、好きで持ってる人から見たら、まったくうるせぇバイク屋だろう。 バイクも機械であるということで見ると、動かさないと、オイルは落ち切ってしまいカサカサになり、熱が加わらないとゴム類は硬化し、あらゆる接点やカプラーは腐食がはじまる。 極め付けはガソリンタンクだ。 長期に乗らない場合、ガソリンを満タンにするか、すべて抜くか?という質問を受けることがある。 乗らない期間にもよるのだが、私が見てきた事例によると、ガソリンが残っていることが全ての元凶のも

shibata racing
6月9日読了時間: 4分


やんごとなき方々
人生で本当のブルジュアに、何人かあったことがある。 こういう人たちは、本当に高貴である。 ある、訳しりがおのコラムニストは、知ったように語る。 身の回りや自動車などで自分を語る人間は、成金であり、真の金持ちは、質素の服をあえてきて、地味な暮らしを装い、金品をたかられたりすることを極力防ぐように注力する。それは自分の財を減らさないための知恵であり。見た目を着飾る人ほど、卑しいものだ。 という。一見膝を叩くような、そうなのか、じゃあ俺も、地味に暮らして、真の金持ちのように装おう、というような。 銀行預金もない私などが、こういうことなどは考えなくても良い。シンプルな服以前に、作業用のツナギで人生の大半を送ってきた私などは、ブランドの服などそもそもないのだ。無論背広ですら一着もない。 そのコンサルはこう続ける。「洋服などはユニクロや、無印などのシンプルなものをきている」と。 ここで間違えがある。着るものなどに気を遣う時点で、作為的なのだということを。卑しい輩だということを。 私が人生で出会った。最高レベルのブルジュアの話をしよう。 京都のアピアで、わずか

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6月9日読了時間: 5分


模様から模様をつくらず
人生を紐解く書籍というものは、まさしく星の数ほど出ている。 街の書店の入り口には、大体このような本が平積みされていて、その本を手に取り、人生を応援してもらおうという意識高い系の方が購入する。 こういう書籍の多く、特に近年出されたものは、表紙の印刷が凝っていて、文字が浮き上がっていたり、写真がなぜか光っていたり。 本としての体裁がとても凄い。 一冊三千円とかするけれど、これくらい装丁が凝っているのなら納得だろう?とでもいいたそうだ。 ではと、中身を読むと、その多くは箇条書きで、簡潔にその日、数行読んで、仕事に出かけるような形式となっている。 私などはこういう本は、ほとんど店舗で立ち読みして、自己完結しているが、その内容の多くは、誰かの受け売りで、 「こういうことを言っている人の話を、かつて聞いたことあるような気がする」みたいな物事。 おおよそ、作者から出てきた言葉は少ないようだ。 それは、湯水のような読書量と、膨大な知識の海を有していなければかけないことは確かなのだが、いわゆる引用は、その人の体温を持っていないから、その人の言葉にはなり得ない。..

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6月3日読了時間: 6分


旬を騙る
お客さんから、「オイル交換は何キロですか?」と聞かれることがある。 今日交換したとしたら、明日また交換しても良い。というのが厳格な答えになる。 つまりは、それほど熱が一旦加われば劣化する。では、それでダメかといえば、オイル交換をサボってエンジンが焼き付いた車両は見たことがない。流石にオイルがそもそもなくなってしまっていたような車両は焼きつくこともあるのだが。 燃費が落ちたり、回転上昇が鈍ったりはするが、だんだん悪くなるから乗ってるライダーは気が付かない。 グレードに関してはどうだろう。誤解を恐れずにいえば、公道走行する限り「入っていればなんでもいい」というのが答えになる。 メーカーや、粘度などの違いは、騒音や乗り味には影響が出るが、厳密にいえば明日はもう劣化しているのだから。現在売られているオイル全てが、公道走行の基準には全て達している。 ここで問題なのは、その良いフィーリングがいつまで持続するか?という部分で違いが出る。 大昔のエンジンオイルは植物油で、カストロールR30というものだった。 それは一日で劣化するので、走行後には必ず抜いておかない

shibata racing
5月28日読了時間: 9分


感動のおしウリ
バイク屋がやることは何だろうかというといはいつでも考える。 商売で考えたとき、安く仕入れて高く売れば良いわけだけれど、そういうことがしたいわけじゃない。 同業者と話すとき、そういう差益で稼ぐことを現在メインで行なっている状態でも、始まりはそうじゃなかったようだと勘づく。 「彼はかつてはライダーだった」と。 当店の業態を「ああ趣味でやってるんだね」と昔からよく言われるから、真剣に稼ぐ気が無いように思われているようだ。 もし稼ごうと思って始めたのなら、もうとっくにベンツとかポルシェとかに乗っているに違い無い。 ポルシェに乗るためのほとんどは、オートバイに使ってしまった。 振り返れば普通の人が一生かかっても乗れないような数のオートバイと接してきた。 同じように自動車修理に携わっていた時には、とんでも無い量の修理を行なってきたので、当然それだけの自動車に乗っているわけだが、ほとんど乗った記憶がない。 数千台に渡るお客さんの自動車を運転してみて、その中で、ついつい選んでしまったのは、FR駆動の代車用のミニカだった。 このエキサイティングさは形容しようがない

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5月13日読了時間: 4分


聖家族の頃に
昭和7年、越前紙刷から150部発行された初版本の一ページ目にはペンで、作者のサインが入っている。私の手元の本にはNo86という刻印がある。 「聖家族」は堀辰雄の青年期、そのキャリアの最初期の頃に書かれた小説で、ここから、楡の家、菜穂子。と続くきっかけのお話だ。 この頃の軽井沢は、近頃の喧騒とはまったく無縁の山あいの鄙びた宿場跡だった。 私が、年間を通して何度も訪れる場所は三ヶ所。 足利、秩父、そしてここ軽井沢だ。 きっと何かしらの縁と、つながりがあると思っているのだが、ゴールデンウイークの足の踏み場もないほどのこれらの場所のニュースを見ていると、縁を感じているのは、わたしばかりではないのかもしれない。 「あんなとこ行ったっておもしろかないでしょう」とよくいわれる。 まるで原宿の竹下通りのような子供っぽさと、人混みの、その表面だけを見れば、その指摘も的を得ていると思う。 しかし、私には昭和初期の軽井沢が見えていて、その幻想と一緒に、その時代を歩いている。一度は軽井沢のことはここに書く必要があると思う。 この場所が最も輝くのは、早春の風が、芽吹いたば

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5月10日読了時間: 4分


リテラシーを無視できるのか
息の長い文化について分析をしたときに共通しているのは、どれだけ外野の声を無視できるか?という問題にぶつかってくる。 ヤマハSRというバイクが数年前に生産中止され、今でもファイナルエディションは引く手数多な状態だ。このわずか20馬力の単気筒バイクは、40年以上にわたってファンを獲得してきている。しかも世の中の流れにうまく翻弄されながらも、初期のデザインが最終バージョンまで保つことができたことは、奇跡と言ってもいいだろう。 最近発売された、CB-Fの新型やカワサキZ900RSのみっともなさは、過去へのリスペクトなしに、イイねだけを追求しているような安っぽさがあり、本物を見抜く目を持つユーザーからは全く相手にされていなくて、これに飛びつくのは、まだその眼を養えずにいるビギナーが多数。そのくせ、売るために、売れるだろうデザインのみを追求した製品の末路だ。他人の褌で相撲を取る行為とでもいおうか。 多分、もうオートバイのデザインを生み出す力が国内メーカーには残っていないのだろう。デザイン性の困窮化だ。 例えば、70年代にオランダのハンスムートが初めてスズキ刀

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5月6日読了時間: 6分


珈琲ルンバ
コーヒー.ルンバがヒットしたのは、もう大昔のこと。もとを辿れば、この飲料水が日本に紹介されて、100年以上の年月が経過した。 日本の移民政策で、地球の裏側ブラジルに渡った日本人が、紹介してくれたものだ。 これには依存性があり、酒たばこ珈琲というものは、不良の三要素でもあった。 本格的にこの文化が華ひらいたのは、戦後のこと。欧米文化の流入とともに、喫茶といういわば溜まり場が、全国につくられた。最盛期の80年代を境に、店舗の縮小傾向になった背景には、インスタントなどの普及とともに、ご家庭で手軽に飲めるようになったり、音楽もポータブルステレオが手元に入り、ヒソヒソ話もできるほどに、日本家屋は肥大した。高度成長期の名残とでも言おうか。 現在最ものまれているのは、ドリップパックという、一杯どりのパッケージもの。ここに辿り着くまで色々な経緯があったのだろう。 当店でオープン前に最初に私が設えた店舗内のエリアは、カウンターで、これは建築の最中に出たうちの家の廃材をもらい、まだ大工さんが壁などをやっている時に私が製作したものだった。 目指したのは、バイクで気軽に

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5月2日読了時間: 7分


ガラスの街
高度成長期の掛け声とともに、街は変貌した。木と紙で作られた街は、コンクリートとガラスへと姿を変える。鉄筋コンクリートの家に住む。というのは70年代のステイタスで、小金持ちはこぞってそういう家を作った。その頃、秩父の武甲山は、三菱コンクリートにより、真正面から削り取られ始めた。現在ではその姿は、一段と、日々、ただ痛々しいまでだ。 私の東京嫌いは、昔から述べているので、ご存知の方も多いと思う。 二十歳の頃、渋谷のハチ公前の交差点で、愛車のダイハツハイジェットという軽トラで信号待ちをしていた時だった。一斉に人が蟻のように動き出し、私は著しく気分が悪くなり、それ以来、都会というものに近づけないタチになった。これは「離人症」という精神疾患の一種らしい。 仕方ないので、仕事とかそういう時には出向くのだが、もっぱら、山に向かって、東京からは離れた方向を目指した人生だった。 好んで東京へはいかないながらも、行けばそれなりに嬉々として、スナップなんかを無駄に撮影したりもする。 だって矛盾の多い人間だもの。 2007年だったと思う。アンリカルティエブレッソンの展覧会

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4月29日読了時間: 5分


オーディオ概念
近年、若者がアナログ趣向になっているという。これは、もはや行き過ぎたデジタルに対し、強烈なアンチテーゼを表明した、変革期ともいえるかもしれない。 レコードが新たに発売されて、中古品が高騰している。 これをもう何十年も前に提唱した私にとっては、当たり前の事象であり、嬉しくもある。「なんか裏返したりする手間が楽しい」と、若者は言う。 一方で、自称コスパ大王みたいな我々世代がいる。 レコードや、書籍という。そもそも物体を呪っているかのように、全てをパソコンや電話に詰め込み、その中だけで人生を謳歌している昭和生まれの、ハイレゾ人間とでも言おうか。 この点においては、若者の方がずっと前向きで、自身の感性に素直に反応しているように思う。 ハイレゾ人間は、もう自分の人生が少ないことを知って、片付け始めているのだろうか?「私はもう随分やりきったから」と、自分がもう音楽という娯楽に関心がなくなっていることを、あたかもコスパの良い人間であるかの如くに誇っているさま。 中でも、オーデイオと言われる分野においては、誤解があると思える。 まだ少しでも、音楽を聴きたいという

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4月24日読了時間: 8分


人力飛行機墜つ
「私はただの現在に過ぎない」 未来を夢に見たり、過去を懐かしんだりすることは出来ても、現在という時間からは決して逃げ出す術はない。 それを意識したのは、寺山修司との出会いがきっかけだったろう。 会ったことはないし、著作や映画に触れたのだって、彼はもうなくなってしまったあとのことだ。私は幼い子供だった。 小津安二郎は、日常の中にある汚れというものを嫌い、それを巧みに計算によって消し去ることに成功した。キレイな日本をフィルムに残すことに苦心した。こだわりは箸の上げ下げや、湯呑みを置くタイミング、顔を上げる角度までに及び、気に入るまで何度でも、役者をロボットのように扱った。 対するテラヤマは、普通の日常では消して目にすることができない、人間の裏にアル、ジキルとハイドの表情を描きだそうとした。ハプニングを重視し、ことさらシナリオ通りの台詞回しすら変えてしまうことも気にかけない。自らはあくまで作品のプロットのみを提示し、ハプニングと演者のキャラクターから変化する偶然を大事にした。 小津とテラヤマを同じ土俵に上げることは少し躊躇われるが、彼らは晩年まで実母と

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4月21日読了時間: 5分


智恵子の杜
春に桜詣をするには、それなりの覚悟がいるものだ。 それは、寒さとの闘いという抗えない自然の摂理。 近くの宮崎写真館のおじさんから、「高遠は良いですよ。でもねえ朝5時にはそこにいなきゃぁなりませんから」 この朝5時の意味を知るには、一度でもいいからその時期に高遠に行ってみればいい。 高遠城址公園に近づくには、道は2本しかない。その2本が永遠に動かない渋滞を生む。 わかっている人は前の晩からここに入り込んで、子供は寝袋に入れて、気の根っこのあたりに転がしておく。 そんな思いをしてまで見る価値はあるが、一か八かのギャンブルに、早朝1時からバイクに跨るのはそれなりの覚悟がいるのだ。 前橋から高遠は、おおよそ150kmだから、ハスクで行くには必ず給油をしなければ不安になる距離だ。 そのころの蓼科はまだ山には雪が残り、夜明け前に二輪でそこを越えるには相当な覚悟がいるし、危険でしかない。 四輪ですら深夜に凍結したビーナスラインはスパイクなしでは越えられなかった。 一度、スカイラインで京都に行くときに、トランクに4本スパイクを積み込んで、この道を山越えしたが、ど

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4月19日読了時間: 4分


三日月むらの朝露
遠い記憶の話である。 私と姉は、藪塚にある蛇センターに連れて行かれた。 北の常磐ハワイアンセンターと対をなす、昭和の虚構であるものの、こちらは妙にリアルに生命の澱のようなものが内在して、心象心理に深く刻み込まれるような畏れがあった。 その記憶はただ薄暗くガラスの翳りが、まるで澱みのように揺らめいていた。 そこでの中心はキングコブラで、舞台の後ろに、ターバンを巻いたインド人が、笛を吹いているに違いない。と、子供ながらに必死にカラクリを解き明かそうとしていたのを覚えている。 この時代にはまだ、見せ物や虚構というものが、どこの路地裏にも影のように存在し、子供を騙そうとしていた。 今でも鮮烈に覚えていたのは、マムシの生き血を飲ませるサービスだ。 アサヒとかキリンとかのマークの入った酒屋がくれるようなガラスのコップに並々と注がれていた、あたかも赤玉ポートワインを思わせる、より深く澱んだ黒に近い、生き物の証。 父親はそれを振り仰ぎながら喉へと流し込み。あたかも吸血鬼のようなサマ。それを凝視しながら、その血を受け継ぐ吸血鬼の末裔たる自分自身に対して、言い知れな

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4月19日読了時間: 4分
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