ヌーベルヴァーグ
- shibata racing
- 9月20日
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いかなる分野においても、新しい波はやってきます。その波を巧みに乗りこなすか、はたまた今までの領域を頑なに出ようとしないか、それは人それぞれ、価値観故の足掻きです。

2025年9月20日
どうやら今の日本語文化や、ものの価値観が生まれたのは、昭和30年代であるといわれています。
それまで新聞がその役割を担っていましたが、いわゆる雑誌が発売されたことで、より多くの書き手や、ものの価値観というものに、庶民が触れる機会となったようです。今ではそれがインターネットで、プロの物書きから、市井の人々までもが、自由にその言論を述べるツールが配られました。「素人がものを語るな」なんてプロが上からひとこと言うと、総叩きにあう時代でもあります。
「標準語なんてNHK見てたら誰でも喋れるわ」と青森の女子高生がいうように、確かに、地方へ行っても方言というものが聴かれなくなりました。これは若い世代ほど顕著で。下北半島のローソンで、綺麗な標準語で接客された時には、拍子抜けしたと同時に一抹の寂しさも感じました。標準語というものは少し味気ないと感じるのは私だけ?
この昭和30年代というものは、いろいろな新しい波が波及した時代でもあります。オートバイで言えば、ホンダがカブを発売したのもその頃で、テレビが普及したのもその頃です。
雑誌で言えば、昨今ではもうすっかりこれらが手にとられることも無くなった背景には、こうしたライターと言われる雑誌社の編集者や、ゲストライターなどの能力の低下が、真っ先に問われるでしょう。読むに堪えない、買うに値しない。などの感想は、正直な購買層からの警鐘だったはずです。同時に眺めるに値しない写真の、その技術と意識の低下も一因です。適当に撮り過ぎたことがより拍車をかけました。
例えば映画界でいえば、それまでは、巨大な資本と、巨大なセット。恐ろしいほどのエキストラと、一流のスタッフ。のみが映画というものを作るのだと信じられていましたが。そこに異を唱えたのは、フランスのカイエデシネマという雑誌の編集員だったゴダールたちです。
彼らの手法は、即興演出、同時録音、最小の人数での撮影。基本はロケで、セットはわざわざ作らない。という従来の映画へのアンチテーゼです。これに猛烈に飛びついたのは、若者たちで、日本でも少数気鋭の才能が発揮されました。アメリカではハリウッドスタイルを否定したアメリカンニューシネマという手法をも生み出します。これは主にロードムービーというカタチをとります。
黒澤明監督の「七人の侍」は、シナリオだけで半年。撮影に一年近くかかっています。農家が燃えるシーンでは、火の勢いが足りないと黒澤監督がダメを出し。同じ農家のセットを何度も建て直して、燃やし直した。といいますから、これでは新人の、自由な魂が発揮できる余地がありません。これは、映画会社という巨大な資本がなしえた宝だったのかもしれませんが。
私も、オートバイのセントラルヒーティングに対して、苦言を呈する前時代の人間の一人ですが、この過渡期を後年振り返ると、時代の変革期だったんだな。と歴史に証明されるでしょう。
今や一億総映画監督。一人に一台ムービーカメラが手渡された時代。一体どんな新しい波を見せてくれるのやら、若人に期待半分、ダメ出す用意半分。
いつの時代もオッサンはうるさいんだよ。
このゴダールの時代を、完全再現した新作映画が来月公開されます。この再現度。今撮影してもその気になればこういうのできるんだなぁ。お見それいたしました。なにをおいてもひとまず観るでしょう。
こちらは本家「勝手にしやがれ」の映画。これが70年前に限りなく個人で撮影されたオリジナル。すべてが新しかったし、今見ても新しい。こんな映画、今は全く無い。これ以降ゴダールは尚も名作を連発する。が迷走もする。