新緑のクロニクル
- shibata racing
- 5月17日
- 読了時間: 3分
五月になると、すべて緑になります。街も山も、真新しい葉に埋め尽くされる季節です。
こういう時、これが当たり前ではないことに気付かされることもあります。

2025年5月17日
アインシュタインという人が、なにをしたのか知っているという人に会ったことがありません。
俗にいう相対性理論。というものを端的に説明できる人に会ったことがありません。
近年また歴史に現れたこの人が、地球そのものに大きな変化を生み出したということを、また炙り出した映画が「オッペンハイマー」でしょう。
原子力のある世界と、それに気がつかなかった世界は、明確な線引きのもとに現在存在します。
その線は目には見えません。
「見えなくてもあるんだよ」とゴーイングマイホームの西田敏行さんが行っていましたが。
その気配に気がつき、論理化できる人たちのことを、俗に天才と言います。
戦後、亡くなったアインシュタインの脳みそはスライスされ、現在ガラスケースに入れられて、博物館に展示されています。それは一体なんのために?
オッペンハイマーを見ると、彼のアイデアは、のちの才能によって具現化され世界を崩壊の危機に陥れられたのだ。
ということが語られますが。
疑問が湧けば、なにがなんでも形にしなければ気が済まない、天才というものの所業が、如何なるものであろうとも。地球はびくともせずに、今年もまた世界を新緑で覆ってくれます。「ありがとう地球」
アメリカがオッペンハイマーとともに、街まで建設して新型爆弾を作ったのと、時を同じくして、日本でも京都大学で、同じ研究をしていました。どう考えても実現不可能な試みでしたが。
それを映画化したのが「太陽の子」です。
日米の対比を見ていると、この戦いが最初から無理だったとわかります。
原爆が投下され、次は京都だと噂された夜に、研究者は家族に、「京都から離れてほしい」と話します。
自分は比叡山に登って、爆弾の姿を見届けたいから。と。
それを聞いた母親は「自分たちも京都の街に残る」といいます。
「それが科学者の息子を産んだ、親の責任や」といって。
天才の思考の前では、人類が滅びる様すら観察の対象であるのでしょうか。
いくつかの大国は、抑止力という名目で、地球を何個もなくすことができる武器を持っています。
生き物の中で、唯一エゴというものを持つ人間は、地球すら我が物にできると思っているに違いありませんが、地球はびくともしない。と私は確信しています。
それは46億年の流れとともに、不必要なもののほうから、地球から消えていく様を見て。
科学は人間を超えてゆく。これまでもそうであったように、これからもそうである。
私は今年もそんなことはどこ吹く風で、軽井沢へ行きます。全て緑になる季節になると。
