600マイルの価値
- shibata racing

- 5 日前
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更新日:2 日前

私が高校生の頃だから、もう45年も前のことになる。
週刊プレイボーイで、連載されていた漫画があった。それは「ケンタウロスの伝説」という実話とフィクションを混ぜたような、横浜のオートバイ乗りの話だった。
地方の片田舎の人間。特に松田優作や藤竜也に憧れて、プロハンターの草刈正雄を毎週見せられていた多感な若者にとって、横浜は特別な響きを持っていた。強烈な憧れ、そこにゆけば男になれるかもしれない。と私は考えていた節がある。
どんなところなのかなぁ、ブルースが街に溢れて、いきなおとこたちがいるのかなぁ。イカしたレイディー、マダムに会いたいなぁ....。
いまだに憧れのままの私は、物語の中の横浜しか知らない。
その漫画は、オートバイ乗りの心情を、ケンタウロスの男たちからの目線で見せられたような物語だった。
彼らは横浜にあるミントンハウスというカフェにたむろしている。偶然街で見かけたRZ250に乗るいい女のあとをつけて導かれたのがそのカフェだった。中にはガラの悪そうな男たちがいたが、誰もそこに紛れ込んだ若者のことなど気にかけない。
些細な喧嘩が起き、それを仲裁したボスはこう提案した「これから俺たちは走る、といってもただ別のところへコーヒーを飲みに行くだけだが、くるかい?」
望むところと、意気揚々についてゆくが、平均150キロでも姿を見ることができない苛立ちと、そろそろ二時間くらい走りっぱなしの状況に、若者はすでに平静を保てない。
辿り着いた先は、神戸にあるコーヒーショップだった。
それは600マイルブレンドと呼ばれる、ケンタウロスの男たちにとって、聖杯のようなコーヒーであるらしい。
これがブレンドコーヒーであった。というあたりが、当時のコモディティーコーヒーの喫茶事情を表している。
いまなら600マイルエチオピア、またはパナマなんてことになっているかもしれない。
「たったこれだけのことなのか?」と愕然とする若者に。「そうよここのコーヒーはそれだけの価値があるのよ」とボスは言い放ち「野郎ども日がくれねえうちに横浜に帰るぜ」と言い。とんぼ返りした。
その頃やっと原付を乗り始めた私にとって、オートバイとは、そしてバイク乗りはコーヒー一杯のために走るのだと。と漫画に人生の行先まで示された。
一度、電車に乗って横浜を訪ねたことがある。
目当ての写真展がバーニーズニューヨークというデパートで開催されていた為だった。
石川町駅で下車すると、すぐ前にケンタウルスというバイクショップが、その時はまだやっていた。店に入ると、訝しげな表情で見られた。奥のドアからプロレスラーのような、日に焼けた男が出たり入ったり。
噂ではケンタウロスと、その裏のミントンハウスは、繋がっていて、行き来ができるのだと聞いたことがある。
その店には、バイクや部品は置いてなくて、Tシャツやステッカーがあった。もうすでにここはお上りさんの名所になっていて、私のような一度は来てみたい人間が訪れるのだろう。私はステッカーを2枚買った。
その後中華街へ行って、バーニーズで写真展を見た。オリジナルプリントがあまりによくて、写真集は粗末だったが、それも買った。
そのまま、山下まで歩いて、ホテルニューグランドへ行き、最初に石の階段を登って、トイレを借りた。古めかしく重厚なタイル。時代を感じさせる手洗い場の蛇口が粋だった。
ラウンジで、紅茶とアップルパイを食べながら、山下埠頭に目をやる。
ああ、ここが横浜か。俺の街か。なにか心がすっぽりと空になったように感じた。
モータリゼーションに人生を支配された者の多くは、漫画に影響され、その出来事に一生を賭ける。これは日本人特有の現象だろう。
なぜなら、外国などでは、伝統としてモーターサイクルは、祖父や父から教わり、譲り受けるものだから。
これに対して、バイクに、新聞屋さんと蕎麦屋さん。そして銀行員だけが体の一部の様に乗り込んでいる日本という国においては、モータリゼーションは一部の金持ち。それも親が。の若者の趣味でしかなかった。
その頃は郵便は自転車で配っていた。
サーキットの狼や、バリバリ伝説。湾岸ミッドナイト。そしてイニシャルDという漫画たちは、そうしたマニュアルや伝統が気薄な、日本の若者の唯一のバイブルになっていたのだろう。
私は今でも一杯のコーヒーを飲むために、オートバイを走らせている。
色々な地方へ行くと、その特色があって、そこには地域のコミュニティーとしての顔もある。聞きなれない言葉や文化が。
気に入ったコーヒーショップには、毎年のように通う。渡り鳥のように。
コーヒーとはそれほど美味いのか?
私はいまだにコーヒーを本当に美味いと思ったことが一度もない。
だからなのか、自分が納得できるまで、生涯をかけて探求するのかもしれないし、ただの漫画の影響なのかも知れない。
もうすでに600マイル以上走っているけれど。


