夏読み
- shibata racing
- 3 日前
- 読了時間: 4分
読書という習慣を持っている方というのには、まず出逢いません。蔦屋で立ち読みをしている人というのも、まばらです。
本屋側でも椅子を撤去したりして、立ち読みを許さない姿勢が見受けられます。ならば、市立の図書館へでも行くしかないでしょう。

2025年8月11日
私は図書館というものが好きで、年中行きます。そこではもう現在売ってないようなハードカバーとかを無料で貸し出しをしていて、とても有意義な体験ができます。
司馬遼太郎ほど誤解されている作家もいないと感じます。「シバは許さねぇ」とかいう方に時々会いますが。こういう方が言うのは、シバが歴史を改竄し、世間を誘導した。と、怒ります。これは主に小説のことを言っているのでしょうが、シバさんには旅行記という素晴らしい分野があって、この考察力と、リサーチには舌を巻かれます。全てほとんど50年前の日本の記録なのですが、それはあたかも昨日の出来事のように鮮明に姿を表します。
私が行うツーリングなどは、シバさんの「街道をゆく」の受け売りで、影響されまくりで出かけるのですから。このかたにいかに連れ出してもらっているのかといったらその密度は計り知れません。
自分の中にないものを創造することというのは、誰においても難しくて、一度は読んだり、聞いたりして頭に入れないことには自分の言葉など到底生まれてはこないでしょう。
現代人というのはこれを嫌がります。「そんな暇はない」「根気が続かない」「そもそも知りたくもない」などなど。
最近では人に聞くのも億劫なようで、なんでも電話で検索し、わかったような気になって、また違うコンテンツに飛んでるようですね。これは人生の浪費であると私は考えますがどうでしょう。実は暇だらけなんじゃぁありませんか。
大島渚という映画監督がいて、その方が黒澤明にこんな質問をします。
「最近映画を撮りたいという若者がいて、そういう方々に黒沢さん、何か言葉をいただけないでしょうか?」すると黒沢が徐に話し始めます。
「映画ってのはアレねぇ大変な予算がかかるんですよ。僕のところにも監督になりたいなんてのが来るけれども、そういうのにはまず脚本を書きなさいっていうんだよ」「それがさぁどうも面倒くさいようなんだよな。そんなことがまずできなくて映画なんていう面倒なものは撮れませんよ」大島渚は恐縮しています。
「成瀬さんのところへ遊びに行った時」と昔、成瀬巳喜男監督の家へ行った時を回想し始めます。
「机の上に藁半紙と鉛筆が置いてあってさぁ、話しながらちょこちょこなんか書くんだよ」
「それって脚本ですかって聞いて、ちょっと観たわけ」
「男と女部屋にいて、なんかしてる。って書いてあるだけ。なんかしてるって。そんなの誰にもわかんないよなぁ」と笑い出します。
「いずれにしても、まずは読まなきゃぁ始まらないな。取り込まなきゃぁ何も出て来やしないからなぁ」と、黒澤明は、今の若い人がどれほど本を読まないかを指摘します。これって50年前のVTRですからね。
小説も映画も近年、どんどんつまらなくなります。暴力と殺人、詐欺と自殺。そんなものばかりテーマにしたお話が引きも切らず、テレビドラマは法廷ものと救命病棟ばっかり。いかにイメージが乏しいか。これは人が書いたもの、当たったものばかりのトレースばかりをしているんじゃないでしょうか。中身は空っぽで、体裁だけ整えて。
黒沢は続けます。
「バルザックなんてのはまぁ凄いよな、一生かかっても我々が読めないくらいの量を書いてるんだから、読めないほどの量を書いてるんだよ」どんなことも始めの一文字から始めなくちゃダメなんだとも言います。
それが積もり積もれば200ページの脚本になるものを「それをやらずに、映画だけ撮りたいっていうんだよなぁ」と呆れます。
シバさんの関ヶ原は、こんな書き出しではじまります。
「これだけ壮大な出来事をどこから書いたものか困るが、まずは頭に思い浮かぶ事柄から書き出してみよう。」
いずれにしたって、思い浮かぶための材料っていうのが頭に入ってなきゃぁダメですけどね。