ゆく秋や
- shibata racing

- 11月23日
- 読了時間: 4分
この秋最後の連休となりましたが、皆様にとってもお仲間を誘ってのツーリングは、今年最後となるのではないでしょうか。
ここからは山は冬支度に入ります。

2025年11月23日
いやぁめっきりと寒さが厳しくなってまいりました。
夏の暑さが結構続いていましたから、今年の紅葉はダメなんじゃないかという私の予想は見事にはずれ、鮮烈に赤は主張しています。
この赤くなるというのは、アントシアニンとかなんとかの効果らしく。キッチリ冷え込んでる証拠でもあります。
すっかり落葉すると、私が好きな木漏れ日も、また半年先まで見られませんが、峠には日が差し込み、昼間は結構明るい感じになりますから、冬のツーリングはそれなりに好きですね。
私が木漏れ日騒ぎをしている人間だということは、古くからのお客さんは知っていると思います。
毎年新緑の頃には木漏れ日ツーリングというものも開催されたりします。
一昨年公開されて、静かに話題をさらって、きっちりカンヌをとってしまった映画が「パーフェクトデイズ」です。
この主人公は、毎日、代々木八幡で昼休みをします。そのときポケットカメラで、見上げた先の木漏れ日の写真を写します。撮り切ると写真屋に行って、プリントし、家に帰って選別します。気に入らない写真はバリバリ破いて、気に入ったものだけ缶にしまいます。そこにあるのは葉っぱの写真ばかりです。
彼は、仕事が終わると銭湯に行き、地下鉄の構内にある飲み屋で一杯やって、家に帰って文庫本を読み、うとうとすると、眠りますが、夢は必ず、白黒で葉っぱがそよいで、木漏れ日がさす夢を毎晩見ます。外が白み始めて、近所のお婆さんが落ち葉を掃く音で目を覚まします。そしてまた同じ一日が始まります。
この映画は、うちの家族が最初に見てきて、静かな感動を伝えてきました。
私は映画館には行かず、「サブスク公開まで待つよ」と言っていましたが、テーマが木漏れ日なのだと聴いて、なんだか興味はそそられていました。
世の中に、一年中葉っぱの写真を撮影して、木漏れ日ばっかり見ている男が、私以外にもいる。というお話は、何かしらの親近感を抱かせました。
無論作り話で、設定がありましたから。いろいろフィクションなのですが。この、葉っぱが揺れることが嬉しいという気持ちは明確に分かります。
どうやら主人公は、かつては成功者で、全て嫌になって、葉っぱばかり眺める生活に入ったようでした。どんなに金を稼いでも、使える額は知れているし、そういうことは人生にほとんど必要ではない。
では、人間にとって必要なものとは?というのが映画のテーマなんじゃないでしょうか。
無論この映画のバックには電通がいて、東京にあるアート的なおしゃれなトイレを紹介する。という意図が存在していますので、本当に小綺麗で前衛的なトイレばかりが出てきます。世の中、そんなに綺麗ではないけれど、真実などは映さないのが映画というもので。
それはそれでいんじゃないでしょうか。
このアート、という概念は往々にして勘違いされ、偉そうになります。
しかし、それに正面から向き合って生きている作者たちは至って真面目であり、気持ち悪くさせているのは取り巻きなのだということをわかったうえで、アート作品を見る必要はあります。
なんとかして売ろう。現世に置いて利潤を稼ごう。こういうバイヤーが居て、成り立っている側面は決して否定できず、彼らが居なければ残らない。という側面もあります。
一人の男の淡々とした日常は、誰にも知られずに今も至る所にあります。
彼らは汗を流し、寒さに震え。そして微睡の中で木漏れ日を夢に見る。誰の中にでもある風景でしょう....。
アートは紹介者無くして成立しない、を具体的なカタチとして提示してくれているのが、軽井沢のリヒターラウムです。これをつくった和光さんは、強烈なリヒターのファン。ファン熱が高じて、リヒターのアトリエのレプリカを軽井沢に建てちゃいました。
そこでは一年中、葉っぱが揺れています。


