少女詩集
- shibata racing
- 6月27日
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「海を知らぬ少女の前に麦わら帽のわれは両手を広げていたり。」これは寺山修司の短い詩であり、私が一番好きな唄です。
詩は、読み手の解釈で広がりを見せ。ちがう世界に迷い込んでしまいます。

2025年6月27日
青春時代というものは嘘ばかりついています。相手への嘘。自分への嘘。それが若いということなのでしょう。友人と称する、異性がいて。いい関係性が壊れないようにつく嘘。もし一歩踏み込めば、簡単に壊れてしまうことがわかっているから、親友なんていう都合のいい言葉で誤魔化しています。思い当たる方も多いのではないでしょうか。
涙は人間がつくる一番小さい海です。
忘れたふりして、赤い糸で縫い閉じられてしまった女と、赤い糸でぬい閉じられた家で、暮らすのが人生なのかもしれません。もし糸を解いたら、今の暮らしもろとも、バラバラになって、川に流れていってしまうでしょう。
冒頭の詩を、私は全くちがう解釈で、心に留めていました。
本当の意味は、寝たきりの少女に海の広さを教える。という唄なのですが。私がした解釈は、小さい娘を初めて海に連れていって、少し中に入って、「ここまできてごらん」と大きく手を広げている自分と重ねて、しんみりしていたんです。海を知らぬ少女との交わりは、人生でたった一回だけ。来年はもう海を知る少女になっているわけですから。その大事な時間に気がつかなった自分と、寺山修司の鋭い感性が響き合ったわけですが。これがただの勘違い。
いっぺんの短い詩ですら、すれ違うわけですから、手紙を3行も書けば、もう全く別の道を一人でに走り出して、二人の距離は永久に詰まらないでしょう。ただ、本当の気持ちをあの時言わなかったから、今でもなんでもなく手を振りあえたりもするわけで。どちらが良かったのか、解釈は最後までわかりませんね。誰にでも「君と歩いた青春」がありますよね。
夏少女は、HANAEちゃんですが。いまはもうハナちゃんは立派な大人の女性になってしまいました。こうゆう感性で綴られた詩集は、夏に色にピッタリ?でしょうか。もう20年も、夏になると読み返す。そんな詩集です。