猫町紀行
- shibata racing

- 10月26日
- 読了時間: 4分
初めて行った街の風景に、心が動かされて。またその街を訪ねても、初めの印象と違っていた。という経験は、みなさまにもあるでしょう。それは魔法が解けたということなのでしょうか。

2025年10月26日
美人は三日で飽きる。という言葉がありますが。どんなに美しいと感じたものでも、遭遇を繰り返すと、人の目は次第に慣れて、感動が薄くなってしまうものです。
ツーリング先で出会う風景でも、もっとも感動的なのは初めてそこへ行った時です。
これは私が何度も経験したことで。あまりに良いから、と、お客さんを連れ立って行っても、それほどでもなかった。
行ったお客さんも、そうでもない反応。よく見たらそれほどでもなかったな。と私も魔法が解けてしまいます。
こういうことを避けるには、できるだけ、二度行かないという努力が大切です。
みなさまも名前くらい聞いたことがある作家で、萩原朔太郎という人がいます。
この方は、前橋が担ぎ上げている、文化の顔とも言える方ですが。おそらく本人は有難がってはいないでしょう。
評価というものはその時々で変わり、当時朔太郎は、前橋での暮らしずらさを感じて、東京へ逃れます。
そしてそれは晩年に至るまで、前橋の記憶は封印されたまま、亡くなった方です。
マエバシ文学館ができた際。この郷土の詩人を都合よく担いだ行政に対し、その娘さんの葉子さんが、痛烈な恨み言を述べた。という話は有名な話です。その文学館は今では孫の萩原朔美さんが館長をしていますが。
旅のマンネリと、日常と、さほどの差異ない繰り返しに辟易した朔太郎は、晩年、薬物に依存し、その時に現れる幻の中に、新たな旅のカタチを見出します。いわば妄想旅行というもので、鏡の世界にも似た、左右逆転の美しさの中に身を投じることになります。
例えば、北へ向かえばたばこ屋は右側にあり、北から来ればたばこ屋は左側です。
立っている位置は同じでも、向きが変われば全ての風景は、左右が逆転します。綺麗に見えたものも、振り返れば綺麗ではない。という経験はしばし日常にも訪れます。
コレは逆光と順光の兼ね合いもあると思うのですが、写真などを撮るとき、たびたび現れる事象です。
朔太郎が金沢に旅をしたときに、山道で道を見失い、偶然、美しく整った街に出くわします。そこは全てが秩序立てられていて、人々は品行方正に暮らしています。何か一つでもバランスを失えば崩れてしまうような危うさをたたえて。
その時、街の通りに無数の猫の大群が押し寄せます。それは黒々と、川の様だったといいます。
ふと我に帰ると、そこはなんの変哲もない街で、ただいつもの駅の反対側に立っていてだけでした。しかし、朔太郎は、この辺鄙な風景の埃っぽい街ではなくて、猫街こそが真実であったと、明確な記憶と共に我に刻み込みます。
こういう言動は、昭和初期の世相の中では受け入れられることはなく。人々は、それをただ狂人の戯言。と烙印を押します。
コレは前橋のような地方では特に強くて、とても暮らしてはゆけません。
現代だったら、受け入れられたかもしれませんが、生まれる時代を間違えた人。といえるかもしれません。
ツーリングでも、一日中走って、10時間くらい過ぎますと、脳内からおかしな物質が出てきます。
コレはきっとドーパミンというものなのでしょうが、その時は妙に興奮して、バイクから降りられなくなり、全ての景色が輝いて見えたりする瞬間です。
集中力はピークに達して、スピードの中で、あたかもあらゆるものが止まっているように錯覚し、にもかかわらず全ての操作が無意識に行われているような状態です。
私はこれを、「ライディングハイ」と呼んでいるのですが。大体そういう時は、もう夕暮れで、突然美しい街に出くわしたりもします。
そこはやはり猫街で、次の機会に出向いても、魔法はすっかりとけて、もうただの埃っぽいだけの街に戻っていたりします。
体の疲労や、マジックアワーのような光。脳のおかしな冴など。全ての条件が揃った時にだけ現れるのが、猫街なのかもしれません。
その街には、二度は訪れることは叶いません。
私に見えた猫街を、人に伝えることは、ほとんどできないんでしょうね。


