top of page
検索

絢爛の宴

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 6月28日
  • 読了時間: 3分

足利の鑁阿寺を開いたのは、足利義家です。その後何代か後に、足利尊氏という人が現れて、室町幕府を興します。空白の200年といわれた室町時代は、なにを失って、なにを残したのでしょうか。


ree


2025年6月28日



一休さんに出てくる、将軍様は、いつも無理難題を押し付けて、それを坊主がトンチで解決する。という全くとんでもない話ですが。事実、室町時代というものは、そのような、日本自体を停滞させた200年。ともいわれています。


足利尊氏は、その出生も明らかではなく、足利の鑁阿寺の義家の曾孫であるともいわれますが、当時の養子制度などを考えると、それ自体も怪しいわけです。室町時代も半ばまで行きますと、将軍職は、なんとくじ引きで決められたようで、ある若い僧侶がくじを当て、傍若無人のかぎりを尽くして、暗殺されたり。全くもって、どうにもならない時代が、室町時代です。


足利が「オレの街」ということになっている私としては。いわゆる足利将軍と、鑁阿寺の時代は分けて考える必要があると思っています。

しかし、この室町時代。和歌や、芸術が花開き。茶の湯なども起こり。華やかさを極めた、文化というものが開花した時代とも言えるでしょう。中でも、鹿園寺という、金ピカのお寺。別名金閣寺というものは、一休さんによく出てきます。


この金閣寺、今観れるものは、いわゆるレプリカです。昭和25年に、この寺の若い僧侶が火を放ち、丸焼けになってしまいました。これを小説にしたのは三島由紀夫で。これを消失したことを嘆いている日本の文化芸術連中を一括したのが、岡本太郎です。「なくしたものは、またつくればいい。法隆寺は焼けてけっこう。自分が法隆寺になれば良いのです」いやぁ太郎は深いな。

素晴らしいものに猛烈に感動したなら、それを全くちがう形で乗り越える事こそが真のリスペクト。という事です。


さきほどの話などを総括すると、どうも時代は、朝廷、寺。坊さん。というものが握っていたのではないかと、予想できますね。これを腐敗だとすれば、織田信長が、比叡山を焼き、本願寺を滅ぼそうとした背景には、積もり積もった200年の鬱積があったのだと予想されます。最も本願寺は、地侍と結託して、各地を掌握していたようで、どうしてもこれは壊さないと、思い通りにならなかったようですが。


まぁ、京都へバイクで行くとすると。五条通りの片側四車線の洗礼を受けることになり。碁盤の目に翻弄され、万年渋滞を覚悟しなくてはいけません。

ただこの金閣寺。今はもう外国のような場所になってしまいました。朝のひと時、池の漣静かに揺れて、カエルがぽちゃりと水に飛び込む。そんな景色は、大昔のことのようです。


これぞ絵葉書。みたいな写真を、昔の私は好んで撮影したんだな。

 
 

Appia . meccanica - Shibata ~ Racing

bottom of page