O村の楡の家
- shibata racing
- 7月19日
- 読了時間: 5分
更新日:7月29日
軽井沢には、街が認定した、ブループレートが掲げられた古い別荘が現存します。これらは、宣教師たちが明治初期にこの地に移り住んで建造した建物も多くあります。この夏に、ブループレートをめぐる旅はいかがですか。なにか見えるかもしれませんよ。

2025年7月19日
五月に室生犀星別荘を訪ねるのは、私にとっての一年のルーティーンです。まだ本格的に色がつかないこの庭の苔を観に行くのですが。ここにいる庭師の方にこんな質問を投げてみました。「苔が最も良いのはいつですか?」「まぁ梅雨明け直後ですかね」
この梅雨明け直後とは、世間は夏休みというものに突入して、この場所に最も近づきずらくなる季節です。今年はその寸前狙いで、待ち構えていたのですが、何かと忙しくて、そのチャンスを逃してしまいました。もう海の日。世間は夏休みですよ。
「軽井沢に住んでる」と豪語している私は、「そこを軽井沢だと思えば軽井沢である」と自分に言い聞かせ、今日も軽井沢からこのレポートを書いております。
お客さんからは、なんで軽井沢なんですか?のような愚問を投げかけられるのですが、この私の心情に踏み込むには、幼少期からこの地にまつわる寓話をワーズワースレベルで刷り込まれてきた、頭の中までお見せしなくちゃなりませんから、ここは「シバタは軽井沢が好き」とだけ覚えておいてください。
ただ私の軽井沢は、今のそれではなく。ここが別荘地になった明治初期から、昭和の初めまでの、厳かで静けさに包まれた街であるとだけお伝えしておきましょう。
水車小屋の道。と言われる小道は、ここが中山道だった頃、鶴屋旅館という旅館だった建物の、裏手の道をいいます。実際そこには水車があり、旅館の賄いに利用されていました。この周辺こそが、真の軽井沢で、近くには宣教師アレキサンダーショーのショウハウス。ショウ記念礼拝堂などが立ち並び。現在でも当時を忍ばせる荘厳な空気感に包まれています。
この水車小屋の道からもう一本奥に入ったところに、片山紘子別荘があります。ここは元々、黎明期軽井沢で、ここに滞在した宣教師の持ち物だったものを、片山家が購入して、避暑に訪れていたものでした。
この別荘には、芥川龍之介や、堀辰雄、などが訪れて、小説の舞台となっています。
現在の軽井沢銀座は、明治に入って、中山道としての賑わいを急速に失っていました。隣町の追分などもそうです。この背景には、日本でも最初期に鉄道が敷かれた、この地域の特殊性と無関係ではありません。街道から鉄道が外れることで、当然駅も遠くなり、それに伴い駅周辺に文化が集まっていったことに由来します。その背景もあり、軽井沢には外国人が流入し、追分宿は寂しい、静かな村になっていきました。日本の文人たちはそんな追分を好み、文人の流入は続いていたといいます。
堀辰雄は、ここ追分を、O村という名称で、多くの作品に登場させていて、先ほどの片山紘子親子にまつわる「聖家族」「ルウベンスの偽書」「美しい村」などで書き記しています。中でも「楡の家、菜穂子」という重要な作品は、堀辰雄の作品において、最初の長編としての最重要作といえるでしょう。フィクションと現実が織り交ぜられていたわけです。
堀辰雄が重要だったのは、それまでの日本文学の形態を変えたことにあります。いわゆる私小説という形は、その後、太宰治や、三島由紀夫に多大なる影響と示唆を与えたことは間違いなく。それ以前には少ないスタイルでした。同時期の泉鏡花の原本などは、3行読むのに、私を持って半日かかりますから、今読んでも全く古びてない堀のスタイルは、当時でこそ鮮烈だったでしょう。
屋根や柱が崩れかけ、もう人が住まなくなって、何十年も経つこの楡の家の前に立つと、ふと窓に人影が見えた気がしました。その人は白いブラウスを着た厳かな婦人です。ふと我に帰ると、全ての窓には、檜皮のような戸板が嵌め込まれて、家に入る光はおろか、中の様子は窺い知れません。
私は、本当の軽井沢を彷徨った後、O村に残る堀辰雄の終焉の住まいを訪ねます。書斎には机や籐椅子が、ただ主人は不在なのだというように、置かれて、庭には書庫の扉が開かれたままになっています。蔵書の中に、分厚い源実朝があります。堀が編纂に関わった、芥川全集なども。
特別展示室は「菜穂子」の特集でした。菜穂子は片山家の一人娘で、小説の後半の主人公です。
当時、精神的な不倫関係にあったという、片山紘子婦人と芥川の写真が並んで架けられています。この世で決して一緒になることがなかった二人がそこにいることの妙。片山夫人の写真は、現存するものは3枚しかないと言われていますから。これは貴重なショットです。
私はあっと思いました。「先ほど楡の家の窓で見かけた人だ....。」
懐かしいO村は、あの頃のままに諏訪神社が残り、木漏れ日が白壁に揺れています。なぜここに諏訪大社が?その謎を紐解くと。この村の神秘が見えるかも。
私のいう軽井沢は、じつは夢の中にだけ存在するところなんですよ。
軽井沢でこの壮大な叙事詩を書き終えたわたし....。軽井沢あっちぃわ。
ようやく午後の微睡から覚めたら、現代の最高の音楽で、今の恋愛模様に浸りましょう。いいぞ2025年も。