あれから僕はいくつの
- shibata racing
- 3月24日
- 読了時間: 3分
更新日:3月25日
久しぶりの音楽ネタを書きたくなったのは、日本のミュージシャンが、外国から支持され、真似される時代になってることが、無性に嬉しく感じたからです。J POPというジャンルは、今やワールドワイドです。

2025年3月24日
外国の音楽の真似ではなく、いわゆる日本のポップスというものが姿を現したのは、70年代だったでしょう。
筒美京平さんをはじめ、大瀧詠一大師匠などが、それまでの外国音楽をたくみにミックスして、日本流の音楽を作りました。
そこから派生したのは、山下達郎さんや、ユーミンなど。この時代の音楽が、今外国の方々から熱烈に支持されています。
しかし、まだこの頃の音楽というものは、コード重視。AメロBメロサビにCメロという今に繋がる大道から消して外れるものでは無かったでしょう。
80年代は、いわゆるリズムアンドブルースというものが、日本のポップスにも登場します。久保田利伸から宇多田ヒカルへ。
こうなるともう、みんなで肩を組んで合唱という訳にはいきません。
歌えるから聴く。歌えないものは聴かれない。という現象がカラオケを生んだのは一つの必然だったでしょう。
踊れる音楽として、小室ファミリーが登場しましたが、これが音楽の白痴化を創造したのは記憶に新しいです。
いわゆる安い音楽の量産ビジネスに、心ある若者たちが黙っているわけはありません。
音楽の2000年問題を経て、登場したのが中島美嘉さんでしょう。
ドラマとのタイアップで、物語の中のヒロインが歌手デビューする、と同時に新人歌手がデビューする。
それまでの山口百恵などの、歌手が役者もやるのとは全く逆で、素人がドラマに出て歌手になる。を浅田美代子以来に成し遂げた人。
そこ知れない歌唱力とビジュアルが、根底にあり。そこに大人たちががっちりタックを組んで、混迷の日本歌謡界に殴り込んだともいえるでしょう。
デビュー曲「stars」から「will」「火の鳥」を手掛けた富田恵一さんの才能が開花したのは、キリンジから中島美嘉を通過したことも大きかったのでは。
彼女が、歌謡界の大御所になった頃、「レジェンド」という楽曲を出し、衝撃をあたえます。
いわゆるテクノの系譜。を全面に、VFXを駆使した高度なプロモーションビデオで世に問います。
「どうよ」てな感じでした。誰か当時聴いていましたか?
この曲をレコードで聴いて、このプロモを当時、DVDを購入して観た私は、「J PoPここに極まれり」と感動したことは言うまでも無かったでしょう。
このレジェンドや、水曜日のカンパネラなどは、カラオケで歌ってみるとその難しさがわかります。
いわゆるコード進行でできていない歌というものは、歌い手が明確な音程を持ち、メロディーが完全に入っていないと歌えません。できる自信がある方はやってみてください。歌えるもんじゃないですから。
「あれから僕はいくつの」とうたわれる「WILL」は、今聴いても全く古くないし、むしろ新しい。
今、おとなり韓国で大人気の曲です。まさに2000年代の彩を持っていますね。
多分当時の日本最高の楽曲と、ミュージックビデオはこの曲です。多分今でも。
そしてあれから20年。そのおとなり韓国にすっかりミュージックシーンで置いて行かれてしまった現在。
これが世界のトップが打ち出す、世界観です。こりゃぁすげえや。
そしてこちらは、私の中のファーストミュージックビデオ。
ずっと未来に残したいアキ.カウリスマキが製作した一本。これは映画だよ。カンヌレベル。
ジョーストラマーテレキャスターの本物を本人が弾いてる。トップレベルの資料。