かくれんぼの鬼
- shibata racing
- 7月5日
- 読了時間: 5分
更新日:7月12日
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて、 という短歌は。寺山修司の代表作ですが。誰の中にもこうした、置いてきぼりにされたモチーフというものは存在しているのではないでしょうか。

2025年7月5日
「軽井沢までの道は全て走り尽くした」を豪語していますが、実はまだ走っていない道というものがあります。そこは下仁田トンネルというルートです。そもそも通る必要がない道で、しかも何度その辺を通っても、見過ごしてしまっています。多分私には、その道自体が見えないのかもしれません。これを「呼ばれてない」と私はいいます。
「南蛇井のあたりにさ、なんだか不吉な道があるだろう?」先日、この辺りを根城にする、お客さんに聞いてみました。
「ああ、下仁田トンネルですか?」「通ったことあるかい?」何か口籠ったような、語りたくないような表情です。
「あれはどうなんだい」すると、重い口を開くように。「夜にトンネルの真ん中で、車のエンジンを切ると、車が外から揺らされるらしいです」なんと。
それで、夜行ったのか?と聞くと。友人たちと乗り合わせて、行ったことがあると。言います。「当然、エンジンは切ってみたんだろうね?」「切りませんよ!」
このトンネルの上には、かつて火葬場があり、その念が、漂ってると噂されていると言います。
こういう場所は、いまだに日本には多く残っていて。ツーリング先で、このような空間に取り残された様な経験は、何度もあります。これを私は「残された闇」と呼んでいます。
こういう伝承の裏には、そこに部外者が来ることを好まない。いやむしろ容認しない風潮が、いまだ存在し。地元の方々には何か都合の悪い真実のようなものがきっとあるのであろう、ニッポンという名の島の掟が、もろみのように濁って、底に溜まっているのかもしれません。こういう時、私はこう考えます。忌み地としての噂を一体誰がなんのために流したのか?
この道は下仁田の旧市街からまっすぐに山に向かい、硬い岩盤を手彫りしてまで通されてる、重要道です。それは一体誰にとっての?こう考えると、下仁田は「ここに他者を近づけたくないんだな。」と思えます。そこにあるのは利権か、松茸か?
「八つ墓村」には短歌が伝わっていた。と金田一は注目します。みほとけの宝の山に入るひとは、竜のアギトの恐ろしさを知れ。「つまり村にはそうした伝承が必要だったということではなかったのかね」と。
私のツーリングは、そこに身ををけども、掘り起こさない。をモットーにしていますが。相手が口を開くときは、少しだけ話を聞いてみたりします。
「今度ゴールドスターでさ、ナイトランで下仁田トンネル行って、エンジン切ってみるかな」というと「本当にやるんですか?」と狂った人間でもみるような表情をされます。「もっともさぁ、そこじゃなくても、やたらエンジン止めりゃぁかかんねぇけどね」と、自らも英車乗りで、身に覚えがあるそのお客さんは、深く頷きます。
最も掘り起こしてはいけないのはこういう事例ですね。命に関わります。
「きつね、たぬき、ムジナが人をばかす。」とは古くから日本で言い伝えられていることですが。しかし、ムジナって、そもそも学術的には、どんな生き物なのでしょうか。
先日、同級生と、「おとうか」の話になりました。「シバタさぁ、おとうかはあれからどうなったい?」大昔にした私の地元の伝承を、その同級生は覚えていて、久しぶりにそんな話題を振ってきました。
「ああ、最近ね、俺は長瀞の自然史博物館でさ、おとうかを発見したよ」それはアナグマの剥製で、地元に残る、おとうかの特徴をことごとく備えていました。
「うちのそばにさ、稲荷新田っていう場所があってさ、それ、とうかしんでんって読むんだよね」「稲荷と書いてか?とうかって読むのか?」こういう地名に隠された伝承の秘密を解き明かしてゆくのも、なかなか楽しいものです。
しかし、暗黙の掟は、共同体を保全する意味において、守られきた側面もあるのですが....。

宮古島の隣にある、大神島の子供たちは、日が暮れる頃、かくれんぼをして遊ぶという。かつて海賊キッドに襲われて、洞窟でかくれているところを、見つかってしまった苦い過去を持つこの島の子供たちは、潜在意識のもと、見事に隠れて、月が出るまで、その姿を表すことはない。子供たちは、なぜか偶数を好まず、奇数を好むという。
サンカと呼ばれる山の民が、つい最近まで、日本にいました。彼らは独自の言葉と連絡網を持ち、しばしば、武将に徴用され、時すらも揺るがす力を持っていて。手編みのカゴなどを里に売りにきて、生計を立てていたといいます。
小学校へ上がる前、時々、リヤカーを轢いた、小柄で色の黒いお爺さんが、竹竿を売りに来た。
一度、調子付いて、そのリヤカーに乗った私を、その人は黙って微笑みながら、轢いていった。
村のはずれまで来た時だった「ボク、この辺でウチに帰りな」リヤカーを止めて、その人は私を下ろして、また静かに帰っていった。そこは、「ろっく」と「どうぎ」の境だった。
サンカと、村には暗黙の掟があり、もしも私を村の外に連れ出せば、二度とここへは来れなくなるのだ。
話を聞いた母親は、ただ青ざめて、なにも語ろうとはしなかった。
50年前の日本には、神隠しや川流れなどが普通にあって、そのいくつかは、拉致だったのだろうか....。
もっとも、ヒトの魂なら、まだ可愛いもので、これが山にいる動物霊となると、大変なのですよ。これは実際群馬であったハナシ。動画後半のモリさんの話は有名で、うちの客さんでも、この方の知り合いがいますから、嘘ではないはずです。度胸のある方だけどうぞ。
村の夏祭りの午後に、納屋に隠れて、「もういいかい」を聞きながらうとうとしてしまった私は、目が覚めると、外は雪が降っており。外套を着て年老いた友人が、「まだ隠れていたのかい」と驚くような夢を、いまだにみ続けているんだ。と時々感じることがあります。
毎日うだるような夏の昼過ぎ。鬼として取り返しがつかなくなってしまっている自分に、少しも後悔することなく。今日も過ごしている。ということだけが本当なのでしょう。
「わたしは、ただの現在にすぎなかった」 寺山修司。