やんごとなき方々
- shibata racing

- 6月9日
- 読了時間: 5分
更新日:6月11日

人生で本当のブルジュアに、何人かあったことがある。
こういう人たちは、本当に高貴である。
ある、訳しりがおのコラムニストは、知ったように語る。
身の回りや自動車などで自分を語る人間は、成金であり、真の金持ちは、質素の服をあえてきて、地味な暮らしを装い、金品をたかられたりすることを極力防ぐように注力する。それは自分の財を減らさないための知恵であり。見た目を着飾る人ほど、卑しいものだ。
という。一見膝を叩くような、そうなのか、じゃあ俺も、地味に暮らして、真の金持ちのように装おう、というような。
銀行預金もない私などが、こういうことなどは考えなくても良い。シンプルな服以前に、作業用のツナギで人生の大半を送ってきた私などは、ブランドの服などそもそもないのだ。無論背広ですら一着もない。
そのコンサルはこう続ける。「洋服などはユニクロや、無印などのシンプルなものをきている」と。
ここで間違えがある。着るものなどに気を遣う時点で、作為的なのだということを。卑しい輩だということを。
私が人生で出会った。最高レベルのブルジュアの話をしよう。
京都のアピアで、わずかな時間だったが、仕事していた期間がある。
その前職の自動車屋を退社して、まだうちの工場が出来上がらない頃だった。ただ遊んでいてもしょうがないので、京都の京北町という山奥にある工場に住み込みで働いていた。と言っても無給で、「寝食はタダでいいから、アンタ店手伝っときい。」という感じだった。
ある日、ジャガーマークワンという、巨大な猫のような。いわばロールスロイスの丸っこい感じのクルマに乗って、若者が来店した。
店主から、「あんたなぁ、歳も近いしな、Nさんのジャガーのオイル交換してな」と指令が出た。
降りてきた若者は、ほぼ私と同い年。さっぱりとした飾り気のないヘアースタイル。眉は優しく色白で、背はすらっと高い。優男というイメージ。なんだか上等な麻のような生成りのスーツをサッと羽織っている感じの人だった。
とてつもなく、柔和で、私のような何処の馬の骨だかわからない若造が自分の車を触ろうってのに、疑問ひとつないようだ。
トランクからおもむろに、組み立て式のカメラを出して、路上で組み始めた。
それはリンホフマスターという、ガラス板に、像を焼き付けるシステムのもので、布をかぶって、暗い中で、遮光板を外して写真を撮る。いわば修学旅行で昔写真屋さんが集合写真を撮影していたような機材だ。それで、今日は店の前の北山杉を撮影するのだという。
その面倒な作業を、心から楽しみながら。私からしたらほんの些細な日常を撮影する時間。という行為そのものを楽しむように見えた。
京都には、祇園町というものがあって、その中で暮らす人たちは、自分たちを洛中に住んでいる。と思っているらしい。
そのエリア以外を洛外といい。京都では無い。と言い切る排他性がある。
祇園祭は、この洛中の町内が中心となって取り仕切り、それが代々続く。
老舗、という呼び名もあるが、京都では戦前からの店を本当の老舗と呼ぶ。
勘違いしてはいけないのは、その戦前とは、先の大戦の話ではない。応仁の乱のことを言っている。ただ、ここでいう老舗はあくまでも商売屋の話であり、真の京都人は、そもそも商売のような卑しいことは行わない。
無論応仁の乱以前から、洛中に暮らし。京都御所を中心としたエリアに、働いたりしないで、暮らしてきた人たちだ。
そういう方々、いわゆるやんごとなき方々というのが、いまだに普通にいて、名前には「路」という字がついたりしている。きたおうじ。とか、武者小路とかそんな名前だ。
私の前でリンホフで写真をお楽しみになっているNさんにも、「路」という字が苗字についている。
うちのオーナーに、その夜聞いた話では。
「Nさんちゆうたらな、路地の側からはたまでが、塀になっててな。ジャガー以外にも新車のポルシェ持ってんねん。その車はな、あないな古い車じゃどこへもいけへんやろって、お母様がこうてくれた車やねんか」
つまりは、セカンドカーが新車のポルシェなのにも関わらず、古いジャガーで、日常を過ごしている、私と同世代の若者だった。
こういうやんごとなき人は、そもそも洋服など、自分で買わない。無論ユニクロなんかには入店すらしない。洋服屋さんが自宅までやってきて、「夏のスーツが出来上がってきましたよ」とお母様が用意する。または、大昔から家にある、恐ろしく上等な着物などを、何も気にせずに着こなす。
明治以降に現れた、貴族や華族というものは、昔の殿様、もしくは武士の成れの果てだ。ましてや新興の商売で財をなした財閥。なんていうのも明治以降の小金持ちのことをいう。
しかし、京都には、それ以前からのやんごとなき方々というのがいて、今でも、やんごとなく暮らしている。この人たちを警護するために、平家とか源氏とかいう武士集団が出現して、それが日本を回すようなことになって、現在だ。
Nさんのような人は、とてつもなく優しい。その優しさには裏はなく。努力もない。
多分、人生でいじめられたことがないのだろう。千年以上。
こういう環境で、世俗と隔絶されながら、世俗と交わると。誰も自分に攻撃を加えないことをDNAで知っているから、人に優しくできる。
その後、うちの店を開店した頃に、お祝いの手紙をもらったり、季節ごとに近況を報告したりもしたが、自然と連絡をしなくなった。
しなくなったのは私で、こういう方々は、決して人の人生に踏み込んできたりはしないから、私が連絡しなければそこまでになる。
あまりにも生きている世界の違う人たち。下々の平民は、こういう方々と付き合っていると、自分が苦しくなる。
こういう方々は、今も現実の日本社会の中にいて、想像の中にしか存在しない。
ただ、真のブルジュアとは、こういう、金などにはそもそも頓着せず。とてつもなく優しい人たちのことをいう。


