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オレンジライト

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 1月8日
  • 読了時間: 4分

今日は本当に冷え込んだ朝でした、早朝の田圃で登ってきた朝日にわずかな温かみを感じたものの。

こんな切れるような朝の、もう50年も前の出来事をふと思い出しました。





2026年1月8日



スズ菌という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

これは、世の中でスズキのバイクにどっぷりと浸かって、それ以外見えない方々の総称です。

私はこの菌に感染しているのだ、とお客さんに話しますが、誰も信じません。「だってシバタさん、一台もスズキ持ってないじゃないですか」と返されます。

しかし、私が最初に欲しいと思っていた原付は、スズキのマメタンというアメリカンなオートバイであり、今でも心から欲しいのは、GS650Gなのだ。と説明しても、みなさん疑わしい表情をします。説得力がまるでないわけです。


高校時代、多くのクラスメートは原付に乗っていました。まだノーヘルでOKでしたし、学校も原付に乗ることはお咎めなし。しかし、中型は基本禁止でした。

私の担任ミッチーは、いわゆるアウトサイダーで、「いいかおめえら、俺の知らねえところで、中型なんか取りやがったら容赦しねえからな、取る時は言いに来い。くれば許可出すから」と学校の方針とは少し解釈の違う、話のわかる先生でした。


クラスメートで中型に乗っているのは3人くらいで、皆しらばっくれて乗っていました。

その中のひとりモリサワは、レスリング部で、いつも和かですが、強かなやつで校則なんかはへっちゃらなところがある男でした。

「おめえら馬鹿か、いちいちそんなこといわっといんだよ、勝手に免許なんか取っちまえばいんだよ」と。原付人生の私たちを冷ややかに傍観しています。モリサワはヤマハのXS250というアメリカンに乗っていました。


高校3年のクリスマスのことです。

うちは当時うどん屋でしたので、店というものがあり、そこにはわりと広い6畳が二間続きでした。

クラスメートでも、仲のいい。私の8ミリ映画「探偵物語」に出演してくれたり、その後一緒に仮装行列を行なっていた仲間が10人くらいいて、そのメンバーとイブの晩にクリスマスパーティーをうちの店で行うことになりました。

その時にモリサワも呼んだのですが、やつはなんと新車のGS650Gに乗ってきました。


聞けば、まだ納車して数日であること、実はとっくに大型免許も取っていたことなどを聞き。もう座の主役はモリサワとスズキに掻っ攫われました。


座敷で雑魚寝した翌朝、学校は二学期の終業式でしたから、家がすこし遠いモリサワだけが早朝に帰ることに。

少しだけ空が明るくなったところで、GS650Gを舐めるように見せてもらいます。銀色で、ところどころきかせでオレンジが入る。ブレーキキャリパーまでがオレンジ色。誇らしげにタンクに斜めに入ったSUZUKIのオレンジ。

ブラックメッキのマフラーが艶やかに。朝日に照らされて光っていました。


あまりに私がこれに食いついていたら。

「どうでぇや、少し乗るっきぃゃぁ」

これは私の地域の方言で「どうですかあなた、そんなに羨ましいのなら少し乗せてあげましょうか?」という提案です。


当然後ろにということですが、私の興奮はマックスでした。

母屋に戻って、自作のバリーシーンレプリカのフルフェイスを取ってきました。これは貰い物のフルフェイスに私が手書きでバリーシーンのヘルメットの柄描いてを制作したもので、10m離れれば、分からない出来でした。


猛烈に寒い切れるような朝に、二人乗りでぐるっと一周。でも20kmくらいは乗せてもらったでしょう。

シュン。というマルチの静かな中に、重厚感のあるエキゾースト。加速した時のトリップ感。全てが異次元。

その時から「いずれ俺もGS650Gに乗る」と心に決めて50年。いまだに買ったことがないのです。


そんなこんなで、私は随分前から一つの目標がありました。カタナの250をベースにして、ネイキッド化。丸目のヘッドライトに交換して、シートをオレンジ色のツートンに張り替えたGS250Gを制作すること。

いまだにこれは実現しないのですが、これこそが究極の私のツーリングバイクではないか?

と真面目に考えています。

それほど、。私がスズキを語る時は真剣です。説得力はないですけどね。




 
 

Appia . mecccanica - Shibata ~ Racing

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