ガラスの街
- shibata racing

- 4月29日
- 読了時間: 5分
更新日:4月30日

高度成長期の掛け声とともに、街は変貌した。木と紙で作られた街は、コンクリートとガラスへと姿を変える。鉄筋コンクリートの家に住む。というのは70年代のステイタスで、小金持ちはこぞってそういう家を作った。その頃、秩父の武甲山は、三菱コンクリートにより、真正面から削り取られ始めた。現在ではその姿は、一段と、日々、ただ痛々しいまでだ。
私の東京嫌いは、昔から述べているので、ご存知の方も多いと思う。
二十歳の頃、渋谷のハチ公前の交差点で、愛車のダイハツハイジェットという軽トラで信号待ちをしていた時だった。一斉に人が蟻のように動き出し、私は著しく気分が悪くなり、それ以来、都会というものに近づけないタチになった。これは「離人症」という精神疾患の一種らしい。
仕方ないので、仕事とかそういう時には出向くのだが、もっぱら、山に向かって、東京からは離れた方向を目指した人生だった。
好んで東京へはいかないながらも、行けばそれなりに嬉々として、スナップなんかを無駄に撮影したりもする。
だって矛盾の多い人間だもの。


2007年だったと思う。アンリカルティエブレッソンの展覧会が、東京現代美術館で開催され、いそいそとそこへ行った。
その頃、絶対スナップの土門拳に影響されていたので、本家ブレッソンの大展覧会となれば、いかないわけにはいかない。
その連携の展覧会として、銀座のライカミュージアムでも、ブレッソンのオリジナルプリントが展示されているというので、銀座にまで足を伸ばした。
そこで私が見たものは、コンクリートの街ではなく、まさしくガラスの街だった。
「地震でも来ればひとたまりもないな」と背筋が寒くなった。
この街では、何かあればガラスの雨が降ってくる。ここで日常的に暮らす人たちには、まるでそんなことはお構いなしだ。
気が付いてないんだな。
この異常さは、現代社会の危機管理の麻痺の一面だろう。
なかでも東京国際フォーラムのガラスっぷりには空いた口が塞がらなかった。これで構造的強度が保てるっていうのだから、人間がこの50年で身につけた建築スキルはただ事じゃあないけど、なぁ......。

高層のタワーマンションに暮らす人たちは、それなりにワケがあるのだろう。ステイタスとしてあえてそこにいるのかもしれないが。
その一方で地方都市の過疎化や、シャッター通りの問題などもある。
別にこの日本、土地がないわけではない。これから人口減少するなら、今をピークとしても、人が住む場所などいくらでもあるだろう。
そんなことを言いながら、私の店も、田舎なのにガラス張りで、外から丸見えの生活スタイルだけれども。
こちらも相当ハタから見たら異常だろう。
つい最近のこと、私の良心とも言える軽井沢に新たな商業施設が出来た。
アウトレットの反対側、元信越線のホームの上に、レストランなどが建設された。入っている店や、そこで提供されるものの金額など。そのまま東京がやってきた。ドーナツ屋に群がり、予約の取れない和食屋の予約を権力で取る。
並ぶ人たちも、新幹線に乗って東京からやってきて。「軽井沢にもこの店ができるなんて」と嬉しそうにインタビューされる。
都市で疲弊した精神を癒すため、一万円かけて新幹線に乗って、一万円の銀座のランチを食べにやってくる。
なぜかこんな山奥で、マグロの大トロを食べて嬉しいらしい。
ここはかつて、峠のシェルパEF63がその姿を誇っていた場所であり、鉄道遺産としての日本で唯一と言える重要なレガシーだった。
色気のない黒いカラー鉄板の新築の建物は、まるでその国鉄色ブルー12号の幻を、塗りつぶすかのようだ。
軽井沢銀座の成り立ちを、つるや旅館の店主、マモルさんの言葉を借りると....。
明治の外国人宣教師たちの後に、大正期にここに別荘を作った、いわゆる金持ちが。東京の銀座と同じサービスをこの地に求めて、銀座にある店を権力で移転させた。という歴史がある。そして、駅にもまた新しく銀座が追加された。
お客さんがここで完結して、旧軽銀座により来なくなる現実を、マモルさんは本心としてはどう思っているのだろう?
かつての中山道の宿場町。本当は、二手橋を渡って、ショー記念館を訪ねて、オルガンロックに登ってほしいと、真剣に考えているはずだろう。
そもそも、そういう街であり、かつてここに集った、芥川や堀辰雄。そして室生犀星や立原道造たちの幻影が今も歩くこの裏路地に、文学の名残を求めて足繁く通う私は、現在の変わり果てたこの街の本質を、根本から見誤っている可能性もあるが....。

インターネットの発達は、この頃から見れば遥かに進んでしまって、今ではそこへ行かずとも、世界中から人々の暮らしは丸見えになり、もはやプライバシーなど存在しないかのようだ。すすんで自らの暮らしを世界中に公開する人たちもいる。その恩恵で、旅に行かずとも、まるでそこにいるように、バーチャル体験が楽しめるようにもなっているのだが。
2007年には、おりしもYouTubeが始まった。
もしも、と仮定するならば。
大地震が来たり、東京が爆撃されたとして、いわゆる焼け跡のようになったとしたら、人はいったいどんな街をこれから作るのだろう。
森が残され、水辺が造られ、障子が一枚入って、またプライバシーが出来上がるのだろうか?
脱SNSが叫ばれ、2007年以前へと回帰する社会が戻ってくる予感がするのは私だけではないだろう。
精神のバランスは崩れ、時間は液晶の画面に吸い込まれた、意図せず、すでに自らの体は液晶ガラスの街の中にある。
それは一昔前のSFのようだ。
東京都は神宮の森を伐採して、新築家庭に太陽光パネルを義務つける法案を通した。
100年前に中国を訪れたドイツ人宣教師が、樹木ひとつない荒涼とした景色を見て「ここでは神を説けない」と考え、まず苗木を植樹したという。その後30年経って、植えた樹木が見事に成長したであろうその地に舞い戻ってみたら。
植えた木は、綺麗さっぱり伐採され、元通りの荒地になっていたという。
その国の思想が、今の東京に透けて見え、すでに浸透してしまってはいないだろうか?
でもきっと戻ってくる。まだ少しだけ人間のまともな意思を信じ、「洞窟回帰」を叫ぶとしよう。
コンクリートとガラスは、人間の暮らしにとって、少し不自然だから。



