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グローバルを傍観する

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 8月5日
  • 読了時間: 8分

更新日:8月9日

 





グルーバル社会にいかに対応するか?ということが議論される日本である。

コレはいかにしてこの島国を脱出して、世界で通用する人材を作るのかという問題に帰着する。

では、本当に日本から出る必要があるのかを考えてみる必要があるだろう。


この必然性を議論する前に、君は何をしたいのかを考えなくてはならないだろう。

もし、日本ではないところでしか活躍の場がない物事に身を捧げたいとするならば、一日も早く日本から出て、その目的となる国へいき、そこで活路を開く。

しかし、グローバルを声高に叫ぶ人の多くが、ひとまず日本は出るが、また帰ってくる気満々なので、ややこしくなる。

コレはこの150年の現象にひとつだろう。


いわば英語力を身につけ、いつでも海外で活躍できる活路を求めたとしても、使う場所が日本なら、英語教師になるか、ツアーガイドにでもなるしかないと思う。そしてこの語学というものは使わないと退化してゆく傾向がある。しかも今では人ではなくても良い。

友人でもアメリカ社会にいて、日本に帰ってきた今、どんどん英語が聞き取れなくなってくると嘆く輩がいる。

戦後80年続いた英語教育の現状を見ると、そのほとんどがその教育を活かせてはいないのではないだろうか?


あまり例にあげたくはないが、もしオートバイ文化というものを考察した時、いわゆる世界のトップメーカーが居並ぶこの日本は、他所から見たら天国だろう。その機械を最も身近に生活に取り込めるのだから。


私にはドイツ人のバイク仲間がいて、彼は日本語が話せないし、私もドイツ語が話せない。しかし不思議なことに、バイクという共通言語で、5時間くらいは平気で話をする。互いに気持ちは通じているように感じるから、それは決して互いの英語力での疎通ではないと思える。言い換えれば人間力とでも言えよう。

コレはロシアの船長リコルドが高田屋嘉兵衛との間において、ふたりだけで通じる共通語で話していたようなものだろう。

上州の僻地で行われた外交だ。


一時期、日本選手が大量に世界グランプリにエントリーしたが、その殆どの方々は現在日本在住だ。

イタリアに居を構えた選手もいたが、結局日本でしか仕事がないから、今は帰ってきた。ただ、戦う場所が世界だったということだ。


コレを考えた場合、音楽界の了見の狭さは最たるもので、一度でも日本を捨てたミュージシャンには異常に冷たくて、帰ってきても仕事がない。

ピンクレディー、松田聖子、ドリカム。近年では藤井風。彼らは結果的に日本に帰ってきたが、ずっとこの国にいた方々のような居場所は無くなってしまっている。国を捨てた奴らという扱いだ。この偏向的ナショナリズムが日本の問題かもしれないし、サーカスの団長が他所に利益を取られたことに腹を立てるのかも。

クラッシックなどはこの限りではなく、誰も日本へ帰っては来ない。それは日本には需要がないからだ。


一応にグローバルを叫ぶことが善なのか否かは、きちんと考える必要があり。そのキャリアのためだけに闇雲に留学するようなことはあまり意味のないことのように私は感じる。

行くんだったら帰ってこない。世界最高の場所で一生暮らす覚悟。それが本当のグローバル思考というものかもしれない。


世界の大学で、東大は40位くらいに位置している。

その程度のレベルなのかといえば、それは違っていて、日本という社会が、外国の教師や生徒を積極的に入れない社会だから、結果として世界のランクからは外れているということで、東大でしかできない学問があるならば、世界中からここを目指すはずなのに、こないから、狭い教育システムになるのかもしれない。


この学歴というものは、有効なものとそうでないものがあるように感じる。

それは有名大学を出たという人と話しても、それほどものを知っているとは感じないからだ。私の周りだけかもしれないが。


日本の教育システムは入ることにばかり力が込められていて、入ってからの広がりがないと感じる。

無論学生もここへ入れば未来が約束されたと思っているフシがある。

学生なんてのはあくまでも社会の入り口のその前の準備にすぎない。

全ては出てからが本番なのに、日本の社会ではここが一つのバロメーターとなり、未来すら約束されなかったりする。

選ぶ側に人を見極める力が欠如し、履歴書だけで選んでおけば仕事量が減るからそうしているように感じる。企業の怠慢であろう。


いわば人間力は学歴では測れないが、学力では測れる。それはいかにその個人があらゆる知識を詰め込んだかということだ。

こういう人とは話していても際限なく楽しい。打てば響くというが、何を打ち込んでも適切に返せる人こそが真の学力を持つ人だと思う。

私はもう40年近く商売で人を見ているから、おおよそ一目見るとその人の学力や思考量は見えてしまう。

それは金払いに至るまで想像できる。

コレは決して学歴では計り知れないものだ。


ひとっきり、中国語を勉強する人がたくさんいたが、最近はあまりそういう声を聞かない。

それは皆様の活躍の場が中国では無くなったということだろう。

もし、グルーバルを語るなら、君はどこの国で何をするか、その共通言語を真っ先に見極め、まっしぐらに邁進しなければいけない。

私はこの島国から出るなと言っているわけではなく。安易に出て安易に帰ってきても居場所はないと言っている。


北欧など見ると建物は可愛いし、まるで夢の国のような様子だが、それは観光で行くから良いのであって、フィヨルドで何して暮らすのか?日本人の漁師がいるという話は聞かない。かもめ食堂はお話である。

以前少し紹介したスイスの珈琲屋の深堀さんなどがいうには、日本は高い豆を積極的に購入するから、良い豆はみな日本に行ってしまう。スイスには回ってこないという。ことコーヒーに関しても実は日本は世界的な売り手市場国なのだ。


現在の過剰なインバウンドも、このまま円高基調に社会が触れてゆけば、落ち着くに違いない。この28年ぶりの日米協調介入の行方は今のところ不透明ではあるものの、決して損はしたくないアメリカが何故動いたのかは注視に値する。

いくら円安で輸出企業が莫大に儲けても、その利益は私たちには決して還元されないから、単純でも輸入品の価格が下がって物価が下がる方が庶民にはありがたい。いちどあがったプライスは簡単には落ちないものだろうが。

いずれ、またこの国は海外のお客さんが減り、日本人だけの国になるだろうか?楽しくやりたいのはお互い様。


今たくさんの留学生が日本に来ている現実を直視し、その要因を考えてみる必要がある。

彼らは日本語を習得することで、人生が有利になると考えているから、苦労してでも日本に来ている。ある意味日本は有利なのだ。

しかし普通に日本語を話す我々は大量に解雇され、カタコトの日本語を話す彼らが職に着く。それはなぜなのか誰か考えてみたか?

語学力は私たちの方が優っているのに。彼らは私たちのやりたがらない仕事を積極的にやる。

半端な英語教育などして世界で通用するためにはなんていうお題目を子供に50年植え付けてきたのは誰か?


オートバイも一つの例に違いないが、世界では、日本だけが有利な産業や社会構造がいくつもあることに着目しなければいけない。

私たちは習わずとも日本語が話せ、日本人しか通用しない事業に、ネイティブに参加できるのだ。

コレはいわゆる大きな既得権益を生まれながら持っているのだということに気が付く必要がある。わざわざ外に出る必要がない。



物事には、50年という節目があるように感じる。

シバさんが書くものに、山奥の、周囲が山に囲まれた平地で、異体な怪物と出会う話がある。彼は名乗る。自分は参謀本部なのだと。

この正体は、明治からこの日本を統治した責任のない決定機関だった。天皇より先に決定して、行動を起こし、しばしば後日認可された。しかし、責任の所在はなくて、国民が背負わされる。この怪物はまだ生きていて、山奥にいた。

「俺はまた出て行く?いやぁもう出て行けないだろうな」と呟いたのは、ちょうど50年前のこと....。

失敗したら総辞職。後はしらねぇみたいな感じ。少し似てきていないか?


日本はいずれ沈むだろうが、まだ少し先まで大丈夫なような気がする。コレとて明治維新からわずか150年の出来事なのではあるが。

それ以前260年も鎖国されていた国であることを誰が日常的に意識するだろう。

宇宙のビックバンから現在は158億年だという。地球が生まれて48億年。人間が現れて6万年。そしてキリストからわずか二千年なのである。ついこの間まで我々は万有引力すら知らなかった。


来年の大河ドラマは小栗上野介だという。

「日露戦争の立役者」この人をまた引っ張り出して、無垢な国民に何を植え付けるつもりなのだろうか。

クヨクヨするな、大したことじゃない。ちっせえなぁ人間社会は。

織田信長は得意の敦盛を吟じている。「人間五十年、化天のうちにくらぶれば、夢まぼろしの如きなり。」

 
 

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