先生というときに
- shibata racing

- 1 日前
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学校の先生や医者というものが、人生で最初に出会う先生たちだろう。しかし、真に先生と呼びたくなる方々というのは、心から信頼して、尊敬するような行いを見せてくれる人たちの事だと思う。
医者や学校の先生は、大学を出ると、その瞬間から先生と呼ばれ、そう呼ばれないことが非日常になる。
一方、本当の意味での先生は、長く研鑽と苦労を重ねている姿に、心打たれて、頼まれてもいないのに先生と呼びたくなってしまったりする。しかし、彼らはほとんどもうこの世にはいない。
私にとっての旅の先生は、三人いる。岡本太郎と、司馬遼太郎。そして、つげ義春だ。
私の旅なんていうのは、多分にこの方々の影響によるところが大きく、いまだに自らの意思で旅をしたことなんて数えるほどだなと思える。
先日、つげさんがいよいよ亡くなって、ある書店にはつげコーナーが設置された。
結構新刊のような装いで、新しい帯がついて平積みされている。
書店のひとコーナーにつげさんが並ぶ。なんていう光景を一番恥ずかしく感じているのはつげさん本人だろう。
この方は、水木さんのアシスタントだったことがあり、その時、水木さんからお金を渡されて、鬼太郎の背景のロケハンのため、日本の怪しげな風景が残っている場所をカメラを持って旅した。
水木さんからは潤沢な資金が提供されていたが、徹底的に鄙びた場所へ行くうちに、「これは自分に合っている」と、その適性を発見したようだ。
その後家庭を持ったつげさんは、家族を連れて、友人と連れ立って。日本中の終わっている温泉地を訪ね歩いた。そこは観光地化されておらず、地元の農夫などが湯治などに来ている。旅館の飯は粗末で、侘しさが突き上げてくるような場所が多い。
風呂は混浴で、大権現の神棚やお札。大天狗の面が壁を覆ったりして、ロビーにはイタチや猪の剥製があったりもする。
つげさんの旅は、いつも憂鬱で、胃が痛くなったり。鬱になって、旅自体を放り出したりしながら、本当に日本中に出向いた。
その頃凝っていたカメラで、普通にそこを写してきているのだけれど、今となると全てが不気味で、しかしながら当たり前に日本のその頃の風景とはこうだった。ほんの30年前までは。
それまでの日本にはなかった三種の堕器は、パソコン、携帯、セントラルヒーティングだ。
私が湯宿温泉へ、ゲンセンカン主人の幻を見つけに行った時。
入口の関所には老人が4人ほどいて「あぁあのマンガかぁ、あれにウチは出てんだデェ。」というので
「まだあのままなのですか?」と色めき立つと。
「まさかあんなじゃぁしょうがなかんべ」といわれて、そうだよなぁと肩を落とした。

私がベスパで4年も通った伊豆松崎は、つげさんの漫画の舞台だった。
宿は今でもそのままで、つげさんが宿泊した蔵は、今でもスペシャルなまま当時の面影を残している。
一年中ファンがここに泊まりたがるようで、なかなか予約が取りにくい。
私も一度だけこの蔵に泊まったが、聖地巡礼が大好きなミーハーにとっては、漫画の舞台にそのままに入り込むような興奮だった。
12時間もベスパに乗って疲れているはずなのに、私は目が冴えて眠れず、2階に敷かれた座敷から壊れそうな梯子を降りて、一階のすみの薄暗いトイレの脇に、座布団を並べて敷いて寝た。
霊感とか、念とか。そういうものを強く感じる私は、2階のつげルームは、ここに渦巻く魂が騒がしくて、寝ることができなかった。
それを感じたのは私だけだったようで、他のメンバーは早々に高いびきだったのだが。
宿にはつげコーナーが設られていて、毎年送られてくるという手書きの年賀状がガラスケースに入れられている。
その絵は、つげさんのキャラが別のシュチュエーションで描かれていて、門外不出のイラストだ。
このハガキだけでも、おいおい美術館行きになるんじゃないだろうかというほどレアである。
そして司馬さんは、つげさんとは全く対照的な真面目な旅をする。
歴史を紐解き検証しながら自らの考えを挟み、現代の風景の中に悠久の時の流れを見つけようとする。
晩年の司馬さんはもう小説は書かなかった。その20年のほとんどは、「街道をゆく」という旅のコラムに終始した。
これも最近書店に並んでいた新刊で、マドリードの列車に乗り込もうとする、司馬さんと須田さん。
司馬さんの写真は多いが、須田さんがカラーで写っている写真というのは貴重なショットで。私はこの表紙の写真だけでもこの書籍を買ったろう。あまりに本の中で一緒に旅をしすぎて、須田画伯のことも半分身内の様な気持ちになっているからだ。
いつもナッパ服しか着用せず、斜めがけに画板をかけて、まるで木像の様な風貌で、飄々としている。自らを道元と同化して、本来無一物の思想のもとに生きていた須田さんは、司馬さんと共にいつも私の横に居た。日本中、このスペインでも須田さんは同じだった。
司馬さんのライフワークである歴史小説は、戦後復員して、新聞記者になった後から書かれた。
テーマは一貫していて、「日本人はどうしてこんなに馬鹿になったのだろうか?」という一点に集約されていたように思う。
それを検証するため、先の疑問を持った22歳の自らに手紙を書くように小説を書いた。
司馬さんが分析すると、今の日本の始まりは、おおよそ戦国時代から始まり、関ヶ原で運命が決まり、太平洋戦争で終わっているようだ。米国の植民地にも等しい現状が、この先どれほど続き、どの様な結末を生むのか?
明治維新から、現状150年続く長州政治が、終了する時代の転換期に立ち会えるかどうかわからないが、未来に誰かが振り返れば、関ヶ原前夜からの西の怨念が、令和っていう時代まで500年、世の中に渦巻いていたんだよなぁ。ということになるだろう。
私はこの街道をゆくを、40年でほとんど読破した。
全く興味のなかった土地も、司馬さんの目線で語られると全く違った魅力が感じられ、無性に行ってみたくなる。こんな影響で、色々な場所に行ってみた。
そこに立って、司馬さんのみた景色を残っているだけみて、そして自分はどう感じるか?という旅のかたちが面白くて仕方がない。
司馬さんが訪れるところは有名の史跡ばかりではない。今はもうほとんど痕跡すら残されていないような風景の中に、かつての人々の営みを思い描く「ここにかつてものすごい数の人の暮らしがあったんだよなぁ」とまるでそのものが見えているように語る。

私のこういう旅を、追体験する様な行為は、当然誰も望まないし、依頼もない。
ただ、自分がやりたくて仕方ないからやっている。という。こういうものが本来趣味というものなのだろうと感じる。
一見多趣味に思われている私の色々な行為は、どこか仕事の一環みたいな要素があることは否定できないが。つげさんや司馬さんに触発された旅は、全く仕事ではなくて、リアルに趣味だろう。もう40年もこんな旅をしている。
それは一銭にもならずも、心からワクワクするからだ。
私はこの方々を、勝手に先生だと思っている。
本人たちはまったくコソばゆいはずなのだけれども。


