コンゴウリキ草
- shibata racing

- 6 日前
- 読了時間: 4分
私の太宰ずきはことあるごとに語るので、皆様も周知のことと思います。ゆかりの地、御坂峠の天下茶屋に、ツーリングで連れて行かれて迷惑千万。私の太宰寸劇を見せられた方というのも、一人や二人ではありません。

2026年2月3日
家の近くの蔦屋書店は、朝の9時から開いていて、うちの開店前の朝の一時間。月初の新刊チェックに行くのは、定番の楽しみです。
ふと目についたのは、別冊太陽。なんと新刊が太宰治特集です。これはうむも言わせずに買うでしょう。
もう散々知り尽くしたと思われた太宰の人生ですが、まだまだ私の知らなかった太宰が、当時の関係者や親交があった友人たちの証言と共に掘り起こされています。
太宰といえば、「斜陽」とか「人間失格」そして教科書にも載っていた「走れメロス」あたりなら読んだことがある方々も皆様の中にいるでしょう。しかし、太宰の家まで行ってきた、しかも津軽の。となると。今まで一人も出会ったことがありません。
ここへは3回訪れている私には、太宰や津軽や金木のことを語り明かしたいと切望する友人というものが一人もおりません。あれほど世間では太宰ファンというものがいるらしいのにもかかわらず。

私的、太宰三部作を挙げるなら、「富嶽百景」「女生徒」「津軽」となります。
この作品たちに共通しているのは、創作ではなくドキュメンタリーであるという部分でしょう。
それらには、素の太宰が存在し、近所の友人のように息づいているからです。
その中の「女生徒」というものは、その後の太宰の文章形式の基礎となる、一人称告白体スタイルの始まりともいえます。
しかも、語り部は女子高生になっている太宰です。
これには元ネタがあり、ある女子高生、有明淑が太宰に送った3ヶ月分の日記がもとになっています。
これは丸写しであるという証言を聞き齧っていた私は、この本によって、真実を知ることができました。
有明さん本人が送った日記のオリジナル原稿の写真と共に、奥様の証言が記されていました。
「S子さんの日記は走り書きで大変読みづらいが、太宰は一読のもと、八十枚の中編に仕立てた」と。
私もそれを拾い読み感じとったのは。全く似ていない「あれはまさしく太宰のオリジナルであった」という感想です。
綴り納めはこのように。
「おやすみなさい、私は王子さまのいないシンデレラ姫。もうふたたび、お目にかかりません。」
富嶽百景のクライマックスといえば、富士山と真正面から対峙して少しも揺るがない、月見草の件です。
月見草というのは白い花であり、月を待つ草。オオマツヨイグサ、または宵待草と呼ばれます。それを黄色くすっくとたった、金剛力草であると、この人は描きます。本来なら昼間はしよれて、夕方に咲く花であるはずなのに。
最もこれを原稿に書き記したのは、結婚前は歴史の教員だったという奥様で、その時のスタイルである、口述筆記という方法を実践している時でした。
「えぇ?月見草ですか?昼間にですか?」と奥様は、その描写を不思議に思い、太宰に尋ねます。
すると「いや、いいんだ月見草がいい、そこは月見草でなくちゃダメなんだ」
かかる、エッセイにおいても太宰は創作をやり、一体どこまでが本当なのか後の世の私たちを飽きさせることを知りません。
富嶽百景のおしまいには、記念撮影を頼まれたのに、本人たちをフレームアウトして富士山を撮るというくだりがあります。
しかし、のちに石碑の除幕式の日に、ある女学生が現れて「この写真は太宰さんが写した母たちの写真です」という証言をしたりもします。井伏鱒二はその話を聞いてこう云います「それ短編になるよ」
きっとまだまだ調べれば太宰は面白いんだろうな。また津軽の金木町に行ってみようかな。



