シブヤにて
- shibata racing

- 8月15日
- 読了時間: 5分

渋谷にもっとも遠い人間です。そもそも、人混みが嫌いな私は、よほどのことがなければ東京へはいきません。
群馬から東京へ行くには、昔ならまずは上野について、山手線に乗り換えて目的地の方向へ行くというのが当たり前で、今のように湘南新宿ラインでいきなり原宿に着くなんてことはなかったので、上野からまさに正反対だったのが渋谷の位置づけだった。
今は、地下鉄などを駆使すれば色々な方向性も模索できるし、首都高まで網羅すれば割合近いのがここだ。
新宿や渋谷は子供にとっては、近づいては行けないところと教えられてきた。それは我々の親の世代にとっては愚連隊の街だったからだろ。
いわゆる感度の高い年齢になってくると、この町で行われているハイセンスな催しや、カルチャーに憧れた。
東急ハンズやタワーレコードというもののために、私も渋谷にはよく行った。
特に渋谷と音楽は切り離せない関係で、文化的なものはここへ行く必要があった。
音楽にも、センターとサブみたいなものがあり、いわゆるポップカルチャーは、ここ渋谷で華が開いた感じがある。ラジオ局が開設されて、ガラス張りの向こうのスタジオにアーティストがゲストでやってきて、それを道から見る。なんてのは地方では考えられない世界だった。
むろんセンターにいない私たち地方の人間にとっては、ここを語るべきではないかもしれないが、90年代まで存在した、熱量のようなものには、かなりの刺激を受けていたことは確かだろう。
BUNNKA村、「ル.シネマ」へフランス映画を見にいき、カフェ.ドゥマゴで、いい気になってカプチーノなんか注文して、すぐに二千円くらい払わされて。フランス気分で、タワーレコードに寄って、セルジュゲインズブールを買う。
マンハッタンレコードで、天井からJBLの4343に煽られて、リズムアンドブルースのレコードまで買う。
その後、ミレニアム以降は、アップルストアーまでわざわざ行って、最新のマックを触りまくったり。I Podを購入したり。
こういうことが我ら地方人の中央文化との関わり方であった。
渋谷はいわゆる若者の街だったから、若者ではなくなるにつれて、だんだん足も遠のいたが、今のこの街は、全てが薄められて、刺激を感じなくなったと思うのは、私の歳のせいばかりではないように思う。
犯罪と隣り合わせの緊張感は、まるで失われてしまった気がする。
プラスチックスあたりから始まる粋な音楽は、高橋幸宏さん周辺から派生して、我々の、いわば第二世代渋谷系へと受け継がれた。
その代表格がピチカートファイブだろう。
この渋谷系なる音楽の最初のきっかけは、84年にポールウェラーが世に問うたスタイルカウンシルの「カフェブリュ」あたりからはじまると感じているのだが、みなさまはどうだろう?
粋で清潔感があり暴力の匂いがしない清涼感。コレが渋谷系の定義ではないかと思う。
私たちは、もうバンドをやらなくなり、一人で音楽を作ることが可能になった。
それはヤマハやコルグが、マルチトラックカセットテープレコーダーというものを発売したことをきっかけとする。
この機材はカセットテープの裏表LR四本の録音帯を使用して4チャンネルの同時録音を可能にした夢の機材だ。
この各チャンネルは独立していて、最終的にはミックスダウンできる。つまり一人でバンド演奏して、曲が作れるようになった。
私はこれをすぐに購入して、その後8チャンネルのオープンリールまで行った。
私と同時期に、コレを使った若者たちが、第二期の渋谷系音楽を作った。
その代表格がピチカートファイブの小西氏などである。
このレコーディングというのは、本来、まず芸能人になって、ソニー信濃町スタジオなどに入って、ニーブのコンソールを使わなければならず、到底そこいらの素人ができることではなかった。
それが可能になったことで、素人がオリジナル曲を簡単に録音して発表できるようになった。
コレが現在のDAWにつながるのだが、全てアナログで一発録音に近い緊張感というものは、このテープ時代に迫るものではないだろう。
いわゆる宅録世代がその後の渋谷系ミュージックを作り、現在ではカプセルの中田ヤスタカ氏が、その遺産を引き継いでいる。
この宅録というものを最初に突き詰めたのは、我らが大瀧詠一大師匠であり、その後のプラスチックス佐久間正英氏であり。
なくなる寸前まで最新の宅録事情を追求し続けた彼らの功績は永久に我々へのエールとして刻み込まれた。
もうすっかり渋谷に行くことも無くなったが、多感な時期にここへ通った記憶は、私にとっても楽しい思い出になっている。
90年代というものを代表する一枚を考えた時、私が最初に手にとるのは、ピチカートファイブのオーバードーズだろう。
このジャケットを撮影しているのは、タジマックスと呼ばれた田島一成氏。このセンスは、写真というものに対する憧れだけで回っていた私の心を掻き回すには十分すぎる刺激を持っていたことは確かなのだ。そのアイコンとも言える野宮真貴さんは、現在でもこのままで生活している永遠の渋谷の歌姫だろう。
もはや渋谷に若者のカルチャーは存在しないだろう。現在は下町から蔵前や門前仲町周辺の隅田川エリアが新しい発信地ではないかと感じる。そんなネオ東京の音楽を代表するのは、やはりSTUTSとその周辺のイキのいいラッパーたち。今の若者はこの辺かも知れない。


