ニセモノ
- shibata racing

- 7月30日
- 読了時間: 5分
更新日:8月9日

私はビートルズが嫌いだ。これはもう生理的に嫌いだから、好きになりようがない。
ビートルズのレコードは何枚も持ち、何十年も聴いてみた。それがどうにも嫌いなのに、世の中の人々がこのグループを礼賛する。
初めてビートルズを聴いた時、それは中学二年だから、もう彼らが解散してから10年が経とうとしていた。
先輩のイシゾネさんが、文化祭の出し物として、弾き語りでレットイットビーを体育館で歌ったのが初体験だった。この人は私に初めてビートルズを聴かせ、私はイシゾネヤスシの声で、ビートルズを知った。
この人は今でも私に影響を与えているが、不愉快のタネを与えてしまったのもイシゾネ師だった。
彼はその後ギタリストとして名をなし、教則本を出版し私も頂いた。
一度だけ同じステージに立ったが、師が洒落たテンションコードを鳴り響かせるためのマルチエフェクターでおしゃれなフレーズを弾いている横で、師からもらった36cmのJBLが入ったアンプと、自前のフェンダーアンプを並列に2個繋いだ状態で、あらゆるボリュームをフルテンにした私が、レスポールのボディーを叩きながらハウリングを盛大に鳴らした。真空管が全て焼き付いて、耳鳴りは三日続くことになるが。それを二時間半休みなく続けたから、主催者からは「シバタ君は遠慮を知らないね」と言われた。
帰りの車で師を家まで送る際。
「オレはなんか今日、シバタ君に負けた気がした」と言わしめたのは、彼がビートルズなどを私に教えたことへの仇討ちだったかも知れない。
同級生の女子で、ミホサンというのがいて、決してそのようには呼んでいなかったが、ここではあえてそういう。
「ビートルズなどロックじゃぁない」と私が言い切ったことに猛烈に反応した。
「じゃあこれ聴いてみなよ」とロックンロールミュージック。という2枚組のレコードを当たり前のように貸してくれた。
この娘は医者の娘で金持ちなので、さんかい堂というレコード屋で、いつでもレコードを買ってもらえるブルジュアだった。
レコードというものは、まさしく明日を全て投げ出して全財産で買うもので、もし他人のそれが聴いてみたい場合、テープを買って渡し、「コレに録音してもらえないだろうか?」とへつらうことが通例で、いきなりろくに聴いてないように綺麗なものを、人に貸す?
なんていうのは常識外の行為だったと、それくらいのことと覚えていていただきたい。
私はこの同級生とロック談義をしていたが、それをよく思わない同級生がいた。彼をIさんとしよう。
当然男だが、彼はミホサンに気があった。私は気がなかったが、彼女はいつも制服のブラウスのボタンを2個外しているような、クラスメートの中でも注目されている色っぽい女子だった。
Iさんは、そのレコードを自分にも又貸ししてくれないかと私に提案してきたが、それには首を縦には振らなかった。
曲がりなりにも貴重だし、借りたものは返すタチだから、「借りたキャ自分で言え」と拒否した。
無論気があるから、そのレコードで何をするかもわからないという不安も私にはあった。
ミホサンからは、何枚もその後ビートルズを借りたが、どうにも好きにはなれず、ロックだとも到底思えなかった。
しかし、世間の風評みたいなものに弱い私は、その後の人生でも何度もチャレンジを試み、なんとか好きになる突破口があるんじゃないのか、と僅かながらの隙間を探してみた。そのたびにイシゾネ師のあの時の歌声が、レリっびーが。リフレェンのように響いた。
そんなこんなで、うちにはこのグループのいわゆる名盤レコードが何枚もあるが、ここまでしても好きじゃぁない。
その理由をいつでも考えた。それこそ何十年も。
聴かなきゃぁそこで完結するのに。
そしてたどり着いた答えらしきものは、どうやらジョンレノンが嫌いなのだと確信するに至った。
世の中のビートルズファンの大半がジョンのファンだから、私もこの答えのようなものを声高に発することもないまま今に至っていた。気持ち悪いのだ。それが答えだった。
森茉莉という人がいる。
彼女はいうまでもなく森鴎外の娘なのだ。この厳格が軍服を着て歩いているような軍医で作家の娘なのである。
森鴎外といえば、樋口一葉女史にシンパシーを感じていて、彼女が結核で亡くなった時に、軍服で、馬を引き葬式の葬列に加わりたいと願い出て、一葉の家族からやんわり断られている過去を持つほど、厳格で堅物な作家の娘が森茉莉だ。
その反動とは恐ろしいもので、お茉莉をめいっぱい溺愛し、自堕落でだらしない娘にしてしまった。
子供の頃から、芋、卵。といえば誰かが口に運んでくれるような環境で育ち、そのまま婆さんになったような方だ。
真のブルジュア作家である彼女の代表作「貧乏サヴァラン」という作品は、なんともいえず素晴らしい。
全く飾ることなく日常を、しかもマリアと自分を呼びながら語る。こんな快作は古今東西今後とも出てくることないだろう。
その中に、私はとうとう答えを見つけた。
マリアがビートルズの偽物さ加減をズバリ書き記していたのだ。
彼女は、エプスタインというこのグループのマネージャーが、ロシアにおけるラスプーチンなのだと断言し、彼らの全てがこのラスプーチンの呪いのようなものだと言い当てる。
「ただいう通りに歌い、話し、ふるまい、心臓は毒蛇の息のクサリでがんじがらめになっている。それはエロティシズムとは違う不気味で不快な囁きがある」
世界中が彼らに夢中になっても、パリだけがこれを拒絶したのは、パリには本物のエロスがあり、偽物のマッシュルームたちの薄気味悪さを必要としていないのだという。
これですよコレ。迷走し続けた疑問が、サルバドールダリの時計のように、にゅるりと溶解した。
そういうことだったか、ビートルズを気持ち悪いと明確に感じていたのは、私にも、森茉莉の、またはパリの感性が備わっていたからだったのだな。さすがはパリに咲くエトワール。パリには行ったことはないが、アメリで嫌になる程街を散歩している私には、分かった。
長いこと探していた答えが実はもう50年も前にこの本には書き記されていたとは、恐るべき森茉莉。
「貧乏サヴァラン」名著である。
今年の初めに私はこの映画で19世紀のパリを旅した。コレをみたパリ人が涙した。
何故私たちはこの文化を捨てたのだ。何故それを日本人がわかっているのだと。


