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  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 4月18日
  • 読了時間: 3分

皆様にとって、リラックスできる空間というものが、まだ残っているでしょうか。

それは近所のスタバとかじゃなくて、気取らずに素の自分をそのままさらけ出せる場所、という意味です。





2025年4月18日



社会で生活を送る。

ということを最小限しか経験しなかった私は、いわゆる常識というものが欠如していると思います。

世の中の成り立ちとかと関係のないような30年を送っていましたから、いわゆる人間関係のストレスというものがありませんでした。


ただ、そこには気取りとか、ポーズというものが存在し。それらを初めから排除して生きれば、人間楽なのに。

とは思いますが。


今年は10年ぶりに、美術学校時代の同窓会を行おうと思って、私が一人で走り回っています。

いわゆる幹事というものですが、誰に指名されたわけではありません。勝手にやってます。


いわゆる義務教育と違ったのは、同じ考えや、思想を持ったものたちが、学校という箱に集められた形式が、専門教育の学校というもので。ほとんどすべての仲間は、趣味が近い同志でした。

いわゆる大学と違ったのは、一度社会に出た方が、社会的適応の不足を感じて、もう一度学校というものを通るために、来ていた。という部分でしょう。


そこには、年齢差が4歳くらいある同級生が多くいました。私はそこで大人の世界を教えられました。

それは文化であり、音楽であり。

同い年の同級生では、決して得られることのない、特殊な人間関係が、横並びに存在したのです。


この学校で獲得したのは、美術ではなく。人間関係と、生涯の友人。という財産だったでしょう。

クルマというものを、高レベルの位置から教わり。ヨアソビというものも学びました。

私が、子供だったから、大人の同級生から社会のルールも教えてもらいました。


夜中には、京都に向けて出発する。という夜に。

仲間が私のために、宴会を開いてくれたのでした。

三月三十一日の季節外れの雪の夜。私の門出を祝ってくれて、最後は私を雪の中に送り出してくれた仲間たちでした。


なんだかわからない、オートバイで世界チャンピオンになる。という目標を掲げた、変な奴を。

大真面目に送り出してくれました。

私はこの夜のことを一生忘れないし。この時のメンバーに生涯感謝します。

何も気取ることのない関係。それが同級生という唯一の社会です。


昨年からよく紹介する、藤井風。という歌手がいます。

彼はどこの音楽大学も出ていないし、誰からも教育されずに、歌手デビューしました。

彼はデビュー曲で、故郷の言葉の岡山弁で歌詞を書き。ネイティブに歌い上げました。


彼が、高校の時学んだのは、やはり人との繋がりです。

何も気取らずにそれをそのまま歌っている姿勢に。私は自分の子供の年齢ながらリスペクトをしています。

彼は現在アメリカに進出して、ピアノ一台で、全米ツアーを成功させました。

そこに感じるのは、教育ではなく。故郷。そして仲間であるように思うのは私だけではないはずで。

それが幅広い年齢のファンを獲得した要因でしょう。


なぜか還暦過ぎた親父たちが、藤井風のファンです。

彼の歌詞によく出てくるのは、「色々あったけど、大したことじゃなかった」という言葉だったり。

「もう十分持ってるから、みんな捨てて帰ろう」というテーマが多くの歌の根底に貫かれています。


そこに残るのはたったひとつ。仲間からの愛だけです。

けして気取らないネイティブな。



 
 

Appia . meccanica - Shibata ~ Racing

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