リテラシーを無視できるのか
- shibata racing

- 5月6日
- 読了時間: 6分
更新日:5月7日

息の長い文化について分析をしたときに共通しているのは、どれだけ外野の声を無視できるか?という問題にぶつかってくる。
ヤマハSRというバイクが数年前に生産中止され、今でもファイナルエディションは引く手数多な状態だ。このわずか20馬力の単気筒バイクは、40年以上にわたってファンを獲得してきている。しかも世の中の流れにうまく翻弄されながらも、初期のデザインが最終バージョンまで保つことができたことは、奇跡と言ってもいいだろう。
最近発売された、CB-Fの新型やカワサキZ900RSのみっともなさは、過去へのリスペクトなしに、イイねだけを追求しているような安っぽさがあり、本物を見抜く目を持つユーザーからは全く相手にされていなくて、これに飛びつくのは、まだその眼を養えずにいるビギナーが多数。そのくせ、売るために、売れるだろうデザインのみを追求した製品の末路だ。他人の褌で相撲を取る行為とでもいおうか。
多分、もうオートバイのデザインを生み出す力が国内メーカーには残っていないのだろう。デザイン性の困窮化だ。
例えば、70年代にオランダのハンスムートが初めてスズキ刀を発売した時のような、横っ面を殴られるような衝撃には、もう随分出会っていないような気がするし、むしろドンドン憧れが失せていくのは、私の歳のせいばかりではないだろう。もっとも、それとてハンスムートだったのだから....。
しかし、当時のヤマハは違った。
SRやRZのすばらしいディテール。そしてレーサーのTZやYZRの持つ切れ味。惚れ惚れする艶かしさは、むしろホンダを大きくリードしていた。RZのライバルが、うちのフレディーだったことでもわかるが、ヤマハはデザインでもポテンシャルにおいても、ホンダより10年先行していたように思う。
70年代に発売されたSRが、正念場を迎えたのは、レーサーレプリカブームが来た時だった。その時ヤマハが行った改革には、今でも惚れ惚れする。
それまでディスクブレーキにキャストホイールでデリバリーしていたSRをスポークホイール、ドラムブレーキのレトロ路線へと逆行させたのだった。この変革はある意味大ブレークを呼んだ。レーサーレプリカに飛びつくユーザーよりも、その時はまだ、従来のオートバイに憧れを持っていた世代が多かったからだろう。
ここで、アイディンティテーを獲得したSRは、その素材感から、90年代には格好のカスタムのベースとなった。
ちょうどその頃、フルカウルのガキっぽさに飽きていたユーザーたちは、一昔前の空冷インラインフォアに真のオートバイの姿を見出し始めていた。それと並行するように、ネイキッドの代表だったSRには、定位置が出来上がった。
もしも、ヤマハの上層部が、世間の流行りに乗じて、早々とSRをやめていたら、または半端なハイテク路線に舵を切っていたら、とうにSRは絶版になっていたに違いない。ここでの教訓を考えてみると、現代で見ると、イイねが一気に集まったり、急激に再生数が伸びるコンテンツのみを指標にするリスクというものが見え隠れする。つまりは、相手にされないから、さっさと下げてしまうことの安易さだ。
オートバイというものが、今の形になったのは、1950年代だ。
当時のグランプシーンにおいて、ダストピンファイアリングと、リジットサスに最初に変革の楔を打ち込んだメーカーが、イタリアのMVアグスタだった。ジョンサーティーズをはじめとして、そのときのグランプリシーンを席巻していたこのヘリコプターメーカーのデザインは、すべての現代のオートバイの指標になっていた。
これにホンダが追従し、より洗練されて、その後の世界地図を塗り替えるのはまだその数年後だった。
まだその時のホンダは、テレスコピックの正立サスを採用してはいなかったのだ。
ノートンのフェザーベッドフレームから始まったダブルグレードルフレームはエンジンを抱え込み、吊り下げ型のホンダグランプリレーサーに対して、そのハンドリングで圧倒的な優位に立っていた。しかし、時計のように精密な多気筒エンジンは、いずれ何もかも蹴散らして、あらゆるメーカーを終焉へと叩き落としてしまうのだが。
しかし、70年の月日を通して、人が、ライダーが選んだのは、結果的に従来の形であり、それを踏襲し続けたのがヤマハSRだけだったということは。ハイテク日本への強烈な皮肉であり。十分吟味すべき事柄だろう。
そして相変わらず、静かなブームであったSRではあるが、このバイクを何台も製作して自己登録していた私の経験から語らせていただくと。これは本質的には素材であったということだ。ノーマル状態では正直言って全くエキサイティングではないし、面白くない。
ただこの素材を、エンジンという心臓をスープアップすることで、全く別な表情が顔を出した。SRには豊富にその手のパーツがあった。
そしてそれが単気筒であったことがエンドユーザー自身が自らの手でこれを作り上げる自由を獲得することにつながった。
皮肉にも、このバイクを終わらせたのは、排ガス規制だった。
先進国で、この温室効果ガス規制条約に賛同しているのは、全世界でドイツと日本だけで、その排出量は、なんと全世界の3パーセントあまり。残りの90パーセント近くを吐き出す国々には、その規制理念はない。
こんな馬鹿げた理由で、40年愛されたバイクを葬ったこと、それを平気でやったメーカーは、どうなのだろう?
40年無視し続けた世間のリテラシーに、いよいよ忖度した結果だった。こんな牙も棘もないことをやるなら、いっそ会社ごと潰すべきだったろう。
少なくとも私がオートバイショップを立ち上げた時には、世の中にこんな馬鹿げた忖度はなかった。
オートバイの歴史の始まりがこのMVアグスタだったなら、その歴史を終わらせたのは、2004年のハスクバーナだった。
奇しくも、その時のハスクバーナの製造元は、クラウディオカスティリアーニが、かつての栄光への憧れと情熱だけで立ち上げた新星MVアグスタであり、それを私たちに届けてくれたのは、彼の盟友前川氏の心意気だった。
すでに存命ではないお二人に対し、心からの感謝を天を仰いで届けたい。
ガソリン問題が唐突に浮上したことで、今年は何か大きな変革が起こるに違いない。物事の優先順位からすればオートバイは随分低い。いわばどうでもいいものに当たるだろう。
ここでよく考えなければいけないことがある。もし、ガソリン不足を背景とした電動バイクの動きが加速したとしたら、皆様はどうするだろう?これは個人的な意見として聞いて頂きたいが、実は電気は化石燃料を燃やして作られているということを無視できない。
つまりガソリンが無ければ、電気も作れないと、考える。そうなるなら私個人はキッパリとバイクに乗ることはあきらめる。
私は、ハスクバーナと MVを並べて眺めながら、毎朝オートバイの始まりと終わりを見て目覚めている。
まさしく歴史の生き証人として。ニコニコと笑いながらその文化の没落のサマを見届けている日常だ。
30年これを扇動したものの責任において.....。
素直にとらえれば、この文化のど真ん中で青春真っ只中を送れたことは、幸運なことだったのかもしれないのだけれど。
〜 登ってゆくことが善でもなければ、落ちてゆこことが悪いことでもない。 〜 「ローマ皇帝マルクスアウレリウスの言葉」


