三日月むらの朝露
- shibata racing

- 4月19日
- 読了時間: 4分

遠い記憶の話である。
私と姉は、藪塚にある蛇センターに連れて行かれた。
北の常磐ハワイアンセンターと対をなす、昭和の虚構であるものの、こちらは妙にリアルに生命の澱のようなものが内在して、心象心理に深く刻み込まれるような畏れがあった。
その記憶はただ薄暗くガラスの翳りが、まるで澱みのように揺らめいていた。
そこでの中心はキングコブラで、舞台の後ろに、ターバンを巻いたインド人が、笛を吹いているに違いない。と、子供ながらに必死にカラクリを解き明かそうとしていたのを覚えている。
この時代にはまだ、見せ物や虚構というものが、どこの路地裏にも影のように存在し、子供を騙そうとしていた。
今でも鮮烈に覚えていたのは、マムシの生き血を飲ませるサービスだ。
アサヒとかキリンとかのマークの入った酒屋がくれるようなガラスのコップに並々と注がれていた、あたかも赤玉ポートワインを思わせる、より深く澱んだ黒に近い、生き物の証。
父親はそれを振り仰ぎながら喉へと流し込み。あたかも吸血鬼のようなサマ。それを凝視しながら、その血を受け継ぐ吸血鬼の末裔たる自分自身に対して、言い知れない恐怖が襲ってきたのを覚えている。
その施設に併設されていたのが、三日月村という嘘のまたウソ。のような場所だった。
三日月村は、作家笹沢佐保が作った虚構の村だった。上州無宿の紋次郎は、10歳の時に国を捨て、それ以来この村には帰っていない。
そんな村を自治体は拵えた。
それがあたかも現実であったように、現在という時代の狭間に存在した。
そこでの買い物は、入り口で換金された小判を使用すること。無理に買おうと思っても買うものがないような、そういうものしかない。
施設のキャリアの終焉の頃、大人になった私は、まだ小さかった子供を連れて、ここを訪れた。
それは子供騙しというよりは、大人騙しともいうもので、入場してからあらゆる場所で、別途料金が要求された。
カラクリ屋敷や、不思議洞窟も別料金だったのだが、「せっかくきたのだから心理」で入ることになる。
忍者を翻弄するコンセプトのカラクリ屋敷には、斜めの部屋があり。平衡感覚は狂わされ、真っ直ぐに歩くことはままならない。乗り物に酔う私は、命からがら外に出ると、もどしてしまいそうになるのを堪えるのが精一杯だった。そこに続く不思議洞窟は、ただ暗い場所を歩かされるだけで、中に何かがあるわけでもない地獄めぐりの血の池地獄の様相である。
外に出ると、その眩しさで、あたかも白日夢でも見たように幻惑されて。そこでもうやむやな結構な追加料金が取られた。
この時期にここを訪ねたのは、当時バイク雑誌で連載していた記事のリサーチも兼ねていた。
「紋次郎が歩いた道」というテーマで、一年間。紋次郎が残した足跡をバイクで辿るという。誰も望まないような自己満足連載だった。
ハスクで、湯河原のショートサーキットでの練習を終えて、夕日に霞む沖に浮かぶ初島の風景を眺めながらふと思った。
こんなのどかな場所で、サーフィンして暮らしてる人たちにとって、紋次郎なんか何の意味もないだろう。
「誰が読みたいんだよそんなもの」
ひととおり施設を楽しんだものの、換金した小判が余っていたので、帰り際に自分への土産として、紋次郎の原作本を三冊購入した。
「あのねぇ昨日敦夫さん来たよ」私を相当なマニアだと見透かしたのか、土産売りの老女が背を丸めて、見上げた視線を緩めた。
「コレも特別つけようかね、ここでしか手に入らないからね」と言って、笹沢左保氏の似顔絵が入ったしおりをサービスしてくれた。
行楽地の土産にはロクなものはないが、コレは今でも愛用している。
今はもう、あの昭和の遺産。蛇センターも三日月村も存在しない。ただ上州は雨の翌日には強い木枯らしが吹き荒ぶ。
それはあの頃と全く変わることなく、今も土地は痩せ、まずしいままで…..。


