top of page
検索

人力飛行機墜つ

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 4月21日
  • 読了時間: 5分

更新日:5月15日






「私はただの現在に過ぎない」

未来を夢に見たり、過去を懐かしんだりすることは出来ても、現在という時間からは決して逃げ出す術はない。

それを意識したのは、寺山修司との出会いがきっかけだったろう。

会ったことはないし、著作や映画に触れたのだって、彼はもうなくなってしまったあとのことだ。私は幼い子供だった。


小津安二郎は、日常の中にある汚れというものを嫌い、それを巧みに計算によって消し去ることに成功した。キレイな日本をフィルムに残すことに苦心した。こだわりは箸の上げ下げや、湯呑みを置くタイミング、顔を上げる角度までに及び、気に入るまで何度でも、役者をロボットのように扱った。

対するテラヤマは、普通の日常では消して目にすることができない、人間の裏にアル、ジキルとハイドの表情を描きだそうとした。ハプニングを重視し、ことさらシナリオ通りの台詞回しすら変えてしまうことも気にかけない。自らはあくまで作品のプロットのみを提示し、ハプニングと演者のキャラクターから変化する偶然を大事にした。


小津とテラヤマを同じ土俵に上げることは少し躊躇われるが、彼らは晩年まで実母と暮らしていたという共通の部分がある。

しかし、テラヤマの場合、母に付き纏わられていたのだ。何度も殺して、逃れてきた母から、生涯、逃げ切ることは叶わなかった。

それは永遠の呪縛であったろう。


テラヤマと向き合ったキッカケは、ほんの偶然の積み重ねだった。

あるとし。

恐山に行くために北へ向かい、東北自動車道を岩手山の付け根あたりから、右に進路をとった。

たどり着いた終点が三沢で、初めて青森の地べたに降り立った。


街は、米軍三沢基地を中心に構成され、横田基地周辺の福生のような雰囲気だった。

英語の看板はそこいら中にあり、もうアメリカの様相だ。

街の外れにあるという航空記念館に導かれた。

そこでの展示の中心は、「ミスビートル」という赤いプロペラ機だ。


それは100年前の話、アメリカから飛んできて、三沢の海岸に不時着した、二人のアメリカの青年と、地元の子供達のふれあいからはじまる。日本人の手で修復された飛行機は、アメリカに帰国するため、街外れの海岸に運ばれる。

帰国の朝に、ひとつのリンゴが手渡された。その種が、青森をりんご王国に変えたのは、それからしばらくしてからだった。


展示物を見て外に出ると、ふと目についたのは寺山修司記念館の看板だった。

まるで磁力に吸い寄せられるように、運命の糸は手繰り寄せられ、サーカスの見せ物小屋のような建物へと導かれた。

そこはテラヤマワールドのイリュージョン。目がまわるような目眩く不思議世界だった。





ここ三沢で少年時代を過ごした寺山は、中学に上がる頃、母に捨てられる。

オトコを伴って九州に出稼ぎに行ってしまった。

青森市内の叔父に引き取られたが、そこは映画館の屋根裏部屋で、多くの映画を映写室から盗み見ては、その名台詞たちをメモした。

この暗闇の宝探しが、その後の彼を作ったとも言えるだろう。

屈折した思いをポケットに仕舞い込んだまま上京した寺山が仕掛けた、数々のイリュージョン。それだけが世間の興味の的だった。

彼は真実の顔を迂闊には見せない。言葉というマジックで、鉛筆一本で人を刺す。

えんぴつ無宿だった。


私の敬愛する映画監督に、山田勇男さんという方がいる。

テラヤマがまだ存命中に、劇団天井桟敷のドアをノックして、そのキャリアの最晩年の美術スタッフとして腕を奮った方だ。

「書を捨てよ街に出ようって映画を見てね、入団しようと思ったんだよね」と、しみじみと私に入団の経緯を語ってくれた。

「その映画の最後にさ、画面が真っ白になって、こちらとあちらの境目が消えるんだよ…..」


映画の冒頭は、こんな始まりだ。

モノクロームの画面の向こうから、青森訛りの若者が、こちらに向かって話しかける

「なにしてんだよ、そんなとこにじっと座ってたって、何にもはじまらないよ。そっちとこっちが違うのは、そっちは場内禁煙だろ。こっちは自由なんだよな」


場内をくまなく回って、ひととおりテラヤマワールドを堪能した私は、疲弊して、やっとの思いで外に出た。

そこはだだっ広い田園で、牛が草を食む。

近くにあるというミスビートルの不時着地点を訪ねてみた。

淋代海岸という名の通り、寂しく広いだけの砂浜だ。ひとくみの米兵の家族が浜でバーベキューをしている。

すぐ傍には巨大なミスビートル号。これはモックアップであり、けして飛び立つことはない。100年前アメリカに向けて帰って行った時の姿のまま、ここに吹きさらされている。


その脇を自転車に二人乗りした高校生のカップルが、通り過ぎた。その刹那、上空を轟音がつんざいた。

F15トムキャットが低空で過ぎ去り、あたりの空気を切り裂いた。

それに反応しているのはわたし一人で、彼らはまるで音が聞こえていないようだった。


すぐ隣にアメリカが、戦争の気配が日常の中に蠢いている。

そこからしかうまれえない人たち。その感性。

この場所に来て初めて、人間を形成する、その深淵にあるものを、カタチに見たような気がした。

カルメンマキは唱う「ときにはぁ母のないこのように、だまぁって海を見つめていたいぃ」これを作詞したのはテラヤマだった....。

母のない子になったなら誰にも愛を話せない。


人力飛行機、墜つ。

そこは祖国に帰れず、飛び損なった人たちの帰るところ。


 ー かくれんぼの鬼 とかれざるまま老いて 誰をさがしにくる 村祭り ー





 
 

Appia . mecccanica - Shibata ~ Racing

bottom of page