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感動のおしウリ

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 5月13日
  • 読了時間: 4分





バイク屋がやることは何だろうかというといはいつでも考える。

商売で考えたとき、安く仕入れて高く売れば良いわけだけれど、そういうことがしたいわけじゃない。

同業者と話すとき、そういう差益で稼ぐことを現在メインで行なっている状態でも、始まりはそうじゃなかったようだと勘づく。

「彼はかつてはライダーだった」と。


当店の業態を「ああ趣味でやってるんだね」と昔からよく言われるから、真剣に稼ぐ気が無いように思われているようだ。

もし稼ごうと思って始めたのなら、もうとっくにベンツとかポルシェとかに乗っているに違い無い。

ポルシェに乗るためのほとんどは、オートバイに使ってしまった。

振り返れば普通の人が一生かかっても乗れないような数のオートバイと接してきた。


同じように自動車修理に携わっていた時には、とんでも無い量の修理を行なってきたので、当然それだけの自動車に乗っているわけだが、ほとんど乗った記憶がない。

数千台に渡るお客さんの自動車を運転してみて、その中で、ついつい選んでしまったのは、FR駆動の代車用のミニカだった。

このエキサイティングさは形容しようがないが、お客さんの車を受け取りにいくという目的よりも、ミニカに乗って車社会を泳ぐ、ということに最も大きな喜びを見出したのだろう。


その後に自分でバイク屋を開いて、毎日ネジを回していたが、ある時、知らない街の知らない景色にとても感動したことがあった。

あんまり良かったのでまた行ってみても、それほど良くはなかった。これはその後お客さんと一緒に行ってみても、全く良くなかった。


集団ツーリングというものの意味は、オートバイ屋にとっては商売の一環だ。

ビックディーラーなどに時々、部品をもらいに行ったりすると。お盆やゴールデンウイークなどに集団で泊まりに行ったりするツーリングを企画する案内が壁に貼ってあったりする。

「コレ、社長が先導していくんですか?」と聞くと「仕事ですから」という。オートバイ屋にとってはツーリングも仕事になる。


オイル交換したりタイヤ交換したり、お客さん同士が刺激し合い、互いに負けないようにモディファイをしたがったりする。こういうことを全て織り込み済みで感動を押し売りするのがオートバイ屋の商売の一面だ。こういう時、しばしば事故が起こったりもする。

技量の差があるのに、前のライダーに遅れまいと頑張ってしまうからだ。

こういう場面を数々見てはきたが、幸運にも当店のツーリングでは大事故は一度も起きていない。


そんなことを30年行なってきたが、今年からお客さんを誘ったツーリングはもう行わないことにした。

現在は全てが録画されている社会。いわば何もできないし、全て証拠が残る。

オートバイで連なって走るだけでも、側から見たら集団暴走行為と認知される。例えばそれほど飛ばしていなくて、まともに走っていたとしても、嫌いな人から見たらうるさくて迷惑な集団になる。


集団走行というのは先頭の私がどんなに品行方正に走っても、後方は少しずつ遅れを取り戻すような走りになり、少しの隙間に脇道から車が合流すれば、それを追い越してくるようなことも起きる。

現在法律ではこういう行為を、全て集団暴走とみなして、免許が一発取り消しになる。証拠付きで。

ここ数年の状況を見ていて考えたのは。感動はお客さん個人のものであり、バイク屋が商売で押し売りするもんじゃないな。ということだ。


甲本ヒロトさんは私と同い年だが、やはりツーリングは一人で行うのが好きだという。

「自分はグズだから」といいながらも、その真意は他人のペースで走ることには、喜びを見出せない、ということを言っているようだ。

初めてバイクに乗った時のハプニングや感動を大切にしているのだろう。

そんな意味もあり。新年ツーリングも、その他のツーリングも、これからは皆さんが個人で行ってください。私はもう誘いません。

とはいえ、二、三人で行ったりするのは、コントロールの範囲だから、これからもするでしょうけど。


春から20年やっていたニュースペーパーをやめたら、さっそく「もうやらないんですか?」という声を何人かのお客さんからいただいた。あれは日々の出来事を書いていくものだったから、新しいことがない世の中でやらなくてもいいかと思い。辞める事にした。

そして、このコラムというもので、私個人の考えを率直に語り、できれば消さないで残そうかと考えた。

誰かに何かを教えるのではなく、忖度無く言いたいことを言う。そして他者を攻撃しない。

「ヒトは人、テメエはてめえ」という木枯し紋次郎の決め台詞のように。


自分が感動した風景は、自分で見つけるもの。その本人ですら二度目はそれほど感動しないから、私もこれからの人生はできる限り行ったことのないところへ一人で行きます。定番の俺の街には、一年中でも行きますけど。

そういう街は、不思議と何度行ってもそれらしい感動があるのはなんでなんだろう?

納豆を毎朝食べても嫌いにならないようなことと同じなのかなぁ。


 
 

Appia . mecccanica - Shibata ~ Racing

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