木の十字架
- shibata racing

- 8月4日
- 読了時間: 6分
更新日:8月5日

立原道造のことをいつも考えている。この若き建築家にして稀に見る詩人のことを。
室生犀星の軽井沢別荘に行くと、いつも犀星が腰をかけて庭を眺めていた縁側のすぐ背の畳の上に、犀星の家族が写った写真が置かれている。以前そこには、犀星の家族だけの紹介があったのだが、その一番左の詰襟を着た青年については明記されていなかった。
私はその時そこにいた庭師の方と、ひとしきりこの庭の話をしていた。
この庭師は軽井沢の行政の方が持ち回りで担当するらしく、いつも違う方が庭を穿いている。
あらゆる方面から、犀星やそこにまつわる人々のことのネタ集めをしているので、その日はこの庭での立原道造の話をした。
立原が、ふらりとここへ現れ始めたのは、一高から東大へ進んだ頃だった。
建築学科に席を置き、在学中に辰野金吾賞を二度受賞するほどの英才だったが、室生犀星の詩の世界に憧れていた立原は足繁く、この別荘にやって来た。追分からはバスと汽車で一時間くらいかかる。
庭に入ると、犀星が背を向けて原稿を書いている。
立原は声をかけることなく、庭にある椅子に腰をかけて、居眠りをする。犀星が彼の存在に気がつくと、たいてい立原の顔に木漏れ日が落ちていて、サラサラの髪を風が揺らしていたという。
犀星が描写をするとこうなる。
〜 そよかぜが頬を撫で、混沌と彼はからだぐるみ、そよかぜに委せているふうであった 〜
犀星の記憶では、いつも居眠りしていた「睡い男」という印象のようだった。
私は庭師の方にそんな話をして、「あの写真に、立原道造って書いておいてくださいよ」と提案した。
それから数年して、今ではその写真には立原の名前が追記されている。
ある秋の日に、突然ここを訪ねた立原は、なにか気忙しく、いま連れと一緒に来ていること、彼女はすぐ上の土手で待っていることを告げた。
門を出て少し離れた土手の上に控えめな女性が立っていた。彼女は立原の会社の事務員で浅路さんという。彼女は立原の言うことに頷くだけで、話らしい話をしなかった。
「まぁ寄りなさい」と招き入れ。立原と彼女を離れで半日逗留させたようだ。
その時の立原はもうすっかりやつれて、何か落ち着きのない感じのようだった。
「これから長野方面に行こうと思っています」と言って旅立った二人を見送ってわずかな季節が流れて、立原が東京の病院に入院していると知った犀星は、彼を見舞う。
青白く骨と皮のようになって、目ばかりぎょろぎょろしながら力無く笑うと「先生、僕こんなになっちゃいました」と、骨だけになったような腕を見せた。「手が生きている間は書けるよ」と声をかけると嬉しそうにまた布団にしまった。
命の助からない人の手であった。
そのベットの傍には、軽井沢に同行していた浅路さんが片時も離れずに床に寝泊まりして看病していたという。
犀星は、そんな立原道造を本当の家族のように愛していたようである。
もうひとり、堀辰雄にとっても立原は忘れがたき親友だった。
夏になるといつも追分の油屋旅館で一緒に過ごした堀にとって、立原が追分で過ごした日々を書き残しておきたいという気持ちがあったのだろう。
堀の作品、「楡の家」そして「菜穂子」という2作に登場する都築明という青年は、立原道造だと思う。
彼が建築事務所にいたり、底抜けの明るさと、どこまでも沈み込むような孤独の影を持っていること。追分での淡い恋心と矛盾など。
その一部始終は立原が遺した詩の中にあり、それを小説という形で残したのが、堀のこの連作である。
この舞台となる追分宿は、明治期になって鉄道の駅が離れたことで衰退した。当時殆どの家が半分崩れたようで、人が少なくしかし、目の前に浅間山が迫ってくるパノラマ。分去れのあたりに夕立の後に出る見事な虹。廃屋のようになった氷室など。
立原や堀はここを気に入っていたようだ。
現在追分宿にある、堀の最後の住居跡が記念館になっていて、入り口のアプローチの左側は、室生犀星から送られた楓の木が、春になると眩い若葉を茂らせている。
小説の中の都築明は、ずいぶん若い頃から、菜穂子とは関わりを持っている。
そしていつもギクシャクして、互いを傷つけ合う。それはまるでダイアモンドがガラスを傷つけるようにであり、それが若さからの制御不能の蟠りなのだとは、本人達も気がつかない。
知らないうちに見合い結婚して、明の前からさった菜穂子に抱く複雑な感情。それをまるで誤魔化すように毎日続けられる追分での、土地の少女とのあいびき。
ある日、自分の前からその少女も姿を消して、むしろそうなることを望んでいたかのような複雑な明の心境。
堀だけが立原から聞いていたのか、堀のみが立原の心の奥から汲み取れたのかはわからないが、そこには確かに、なまの立原道造が今でも生きている。
いつも堀の体を気遣っていた立原が、堀の結婚祝いに、手紙と共に2枚のレコードを送ってくれた。それを軽井沢の山の家と呼ばれていた別荘に届けたときは、息も絶え絶えで、ベランダにそのまま寝転んで、2時間くらい寝ていたという。
そのプレゼントを聴く機材がないまま、聴きそびれているうちに、あっという間に立原があっけなく亡くなってしまう。
堀夫婦がその贈り物のレコードを初めて聞いたのは、立原がいなくなってからだった。それは木の十字架合唱団のアヴェマリアだった。
それからしばらくして、軽井沢のレイモンドの教会のミサに参加した堀とその友人達。
その前日にドイツはポーランドに侵攻した。
その教会で席を並べる、あどけないドイツ大使の子供達と、ポーランド大使館の二人のおさげ髪の少女。
その夜の、いつものような何気ない光景に、分断の兆しは見えなかったようだ。
そのミサで流れた木の十字架合唱団のアヴェマリアは、立原がくれたものと同じものだった。
いつもの仲間達と水車の道を歩く。そこに何故か立原だけが欠けていた....。
堀辰雄記念館には、この時結婚の祝いに立原が送ってくれた手紙が残っている。
丸くて優しい文字。
その文面は、まるで立原の詩のように、歌うような柔らかさがある。
私はここへ来ると必ずこの手紙を食い入るように見る。そこには今でも、立原が生きて宿っているように感じられるから。
その手紙はこう締め括られる。
〜 沢山の幸福とよろこびと潤沢なひびとを、恵まれますやうに 〜
夏の盛りの犀星の庭から追分の堀辰雄邸へ、私は物語の都築明になって漂った。
ゆく先々で蝉は鳴き、それは春ゼミとは違う声だ。浅間山には巨大な入道雲がかかる。夕立のやってくる湿った気配がした。


