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聖家族の頃に

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 5月10日
  • 読了時間: 4分

更新日:5月15日






昭和7年、越前紙刷から150部発行された初版本の一ページ目にはペンで、作者のサインが入っている。私の手元の本にはNo86という刻印がある。

「聖家族」は堀辰雄の青年期、そのキャリアの最初期の頃に書かれた小説で、ここから、楡の家、菜穂子。と続くきっかけのお話だ。

この頃の軽井沢は、近頃の喧騒とはまったく無縁の山あいの鄙びた宿場跡だった。


私が、年間を通して何度も訪れる場所は三ヶ所。

足利、秩父、そしてここ軽井沢だ。

きっと何かしらの縁と、つながりがあると思っているのだが、ゴールデンウイークの足の踏み場もないほどのこれらの場所のニュースを見ていると、縁を感じているのは、わたしばかりではないのかもしれない。


「あんなとこ行ったっておもしろかないでしょう」とよくいわれる。

まるで原宿の竹下通りのような子供っぽさと、人混みの、その表面だけを見れば、その指摘も的を得ていると思う。

しかし、私には昭和初期の軽井沢が見えていて、その幻想と一緒に、その時代を歩いている。一度は軽井沢のことはここに書く必要があると思う。


この場所が最も輝くのは、早春の風が、芽吹いたばかりの新緑の枝を揺らす五月だろう。

毎年、ハスクバーナミーティングや木漏れ日ミーティングを行なってきたのは、この、一年で一番素晴らしい軽井沢を、皆様にも味わって頂きたいという気持ちからだった。

そのほとんどが落葉紅葉樹のこの森は、冬には全て葉を落として、土の表面に太陽の光を届ける。

四月の後半になると、枝の先から、新芽が顔を出し。木漏れ日は透き通るように透過して、あたりをメロン色に染め上げる。


表通りは人で溢れていても、その一本裏の通りには人気はまるでなく、ゆるやかに時間が流れている。





明治に入り、鎖国が解かれた日本には、神を説くために外国から宣教師がやってきた。

教育の現場にも、有識者が招かれ、これからの日本を作るための礎が築かれ始める。

彼らお雇い外国人たちは、西洋のあらゆる文化を、これから日本を背負って立つであろう若者たちに授けた。軽井沢は、そうした宣教師の中のひとり、アレクサンダーショウによって開かれた、高原の避暑地だった。


江戸時代は、中山道の重要な宿場として大変栄えていたこの場所も、鉄道の駅が離れた場所に作られて、本来の働きは失われていた。

その浅間山の火山大地は、外国人にはとても魅力的に映ったようだ。それはあたかも故郷の景色と重なったのかもしれない。

大正期に入る頃、外国人たちの多くはその役割を終え、国に帰った彼らに代わり、明治期に財を蓄えた日本人たちが、別宅を建て始めた。財界人とは別に、文学者たちにとってもこの静かで空気が良い場所は、雑多な東京と比べ、別天地として映ったに違いない。

川端康成、芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎。といった文壇の騎手たちは、その頃の軽井沢に色を添え、その後輩たちにあたる堀辰雄などもここを訪れるようになった。



ここにはかつて、「聖家族」の細木婦人と娘が住んでいた。それは「楡の家」と、「菜穂子」の舞台にもなった。片山廣子別荘である。庭の楡の木の根元には、婦人の日記が今でも埋まっている。のか?軽井沢最古の別荘。
ここにはかつて、「聖家族」の細木婦人と娘が住んでいた。それは「楡の家」と、「菜穂子」の舞台にもなった。片山廣子別荘である。庭の楡の木の根元には、婦人の日記が今でも埋まっている。のか?軽井沢最古の別荘。


文学、美術、政治。その癒しの舞台に選ばれたこの場所には、当時の最先端の空気感が充満していたに違いない。

そういったハイソな人たちは、一般の庶民とは隔絶されたような優雅な生活を送っていただろう。

「聖家族」に垣間見える軽井沢は、ファーストウエーブが過ぎ去ったあとの、徐々に戦争へと向かっていく途中の、不穏な空気感の中で描かれた。この本の出版の前年には満州事変が勃発した。

未来へのビジョンは朧げで、国民への統制だけが強まっていく、明日の見えない。そんな時代だった。

少し今と似ていたような気がする。

その後「美しい村」に描かれたのは、世界大戦がはじまることで、それまでここで暮らしていた連合国側の家族たちが、国へ帰ってゆく分断の寂しさ。軽井沢には国境が朧げにあらわれた。


今でも、軽井沢には昭和初期の匂いは少しだけ漂っているが、よほど注意深く嗅ぎ分けなければ、感じ取ることはできないかもしれない。

早朝のまだ気配そのものが寝静まっているような時間には、家々の玄関にオレンジ色の灯りが消え残っている。

昨夜の静かな雨の名残露をたっぷり纏った苔たちは、大気に温められ、薄っすらと靄をつくる。

それはまだ緩やかだった大正期の時間のような錯覚をもたらす。


隣に着物を着た角張った顔の初老の紳士が、杖をついた姿で歩いている。私もその横を少し距離を空けてついてゆく。

矢ヶ崎川を二手橋までさか登り、水源地の道を登り始めると、しばらくして川に向かって、緩やかに降ってゆく後ろ姿が、靄にとけこむように消えた。

そこには、二体の石像があり、横の土手には、一枚の御影の石板が埋められている。


  〜我は張り詰めたる氷を愛す〜


この場所に眠ることを室生犀星は望み、今もその魂はここへ還ってゆく。


ふと空を見上げると、ひらいたばかりの、まだ若い緑の葉脈が、ゆるく風に揺れていた。あたかもこちらに手を振るように.....。





 
 

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