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自分軸をブラさない

  • 執筆者の写真: shibata racing
    shibata racing
  • 1月20日
  • 読了時間: 3分

どなたでも物事を始めるきっかけというものはあると思うんです。たとえばそれがなんであれ、自分のその後の指針を変えてしまったこと。思い出してみてくださいあの日のトキメキを。



  


2026年1月20日



高校三年生の正月だったのですが、テレビ東京で、日立サウンドブレイクのスペシャル番組が放送されていました。

この番組は、外国の音楽に乗せて、その時の風俗や最先端のファッションなど、田舎の高校生にとっては猛烈に刺激的な番組でした。


その日のスペシャルは、ノートンに乗って雪山へ行き、そこでテント泊をして、翌日テントから顔を出すと横にはノートンが停まっていて。なんていうフィルムに、カントリーウエスタンやビーチボーイズの曲が合わさるというもの。その朧げな記憶にあったのは、ノートンマンクスで雪山へキャンプに行く。という驚きの風景。

その日から、私の中の目標にノートンマンクスという文字が刻まれました。


少し調べると、その時ですらマンクスは大昔のバイクで。しかもレーサー。

とても買えるようなものではないということ。それに変わるものとして、ある日ヤマハのSRという選択肢がのぼりました。

きっかけは原付でツーリングしていた時、反対側から猛烈な爆音を立てて、黒いタンクに茶色のラインが入ってバイクがすれ違います。

友人のスナミチに聞くと、それはSRというバイクで、日本製の現行車だということ。

その頃のSRの社外マフラーというのはほとんど直管でした。

その日から、SRとRZが私の選択肢になりました。結果的にRZを購入したことで、私は走り屋の道に入り。その日からスピード命、レース上等。の人生を歩むことに。


一通りのことがすぎ。バイク屋をオープンすることになり。英国の旧車をメインの店というスタンスができました。

店を開けてすぐ、一台しかないMVアグスタを持って、仙台ハイランドへ行くと、いきなりマンクスが暖気しています。

そのメガホンマフラーから出る爆発音は、この世もモノではなく。すぐ横を抜かれた時の地響きは、ドカティでも全く敵わないほどの迫力でした。


そんな時、降ってわいたようにマンクスを買わないかという美味しい話が。

二つ返事で購入したのですが、支払いはその時持っていたロータスエランを売って充てました。そのエランも二十代全てをローンで過ごして、それでもまともに動かなかった車でしたから、未練はありましたが。


私はこのノートンで、10年くらいタイムトンネルというレースに出場します。

高校生の時にたまたま見た、日立サウンドブレイクの決意をこういう形で実現できたのです。運でしかないですが。

三つ子の魂百までという言葉がありますが、自分が物事の歩き始めで目撃した鮮烈な出来事が、その後の自分の人生を導いてくれるということがあるものです。

一方で一点豪華主義を貫こうとすると、バランスの法則から、その他全てが犠牲になることも当然あります。


ある日お客さんと、サウンドブレイクの話になって、あの時のことを話したら。「俺多分そのビデオ持ってるなぁ」ということになり。ベータで録画されたものをデッキごと貸していただくことができ。40年の時を経てその日のビデオを見ることもでき。

ノートンマンクスだと思っていたのはノートンアトラスで。テントに寝ていた傍にバイクはなくて。山奥でした。出演者は油井さんです。

いろいろ記憶は錯綜していましたが、おおよそ覚えていた通り。

たった一夜の、わずか30分のテレビ番組が、私のその後の人生そのものを構築するきっかけを作った。というお話。


思い出してください。皆様にも人生を決めてしまった瞬間というものがあったんじゃないですか?

人は不思議とそこに向かって、人生の歩みを進めていくもんなんです。無意識のうちに、あらがうことも出来ないままに。


 
 

Appia . mecccanica - Shibata ~ Racing

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