郷愁というもの
- shibata racing

- 7月15日
- 読了時間: 4分

心に去来する風景を想う時。胸が痛くなるのはたぶん。もう二度とそこに戻れないからだろう。
過去を学ぶことで未来を創る。なにもわからないから明日は楽しみだが。そこから学びとることはできない。
ヒトはけして過去に戻ることはない。しかし、その時の経験は、必ずしも無駄ではない。
昭和というものが私たちにとってのネイティブであり。その時に子供だった私たち世代は、あらゆる経験を積んだ。
誰にとっても人間形成の時期がもっとも楽しい思い出になる。
毎日学校へ行くと、好まなくても50人のクラスメートがいる。
給食を争っておかわりする同級生。食休みもせずに飛び出して、サッカーやバスケットをやる。放課後も野球などをやる。当然家に帰っても宿題などはせず、夕方ルパン三世の再放送や、ガンバの冒険の本放送を見る。夜も寝ないで深夜ラジオを抱え込んで、小さい音で聴く。
そういうこと全てが、私という一人の人間を形成した。
映画「つぐみ」のことも、一度は整理して書いておかなければならないだろうと思っていた。
つぐみは、小さい頃から体が弱いので、学校へも行けず、軽い運動もできず。海の前に家があるのに海水浴すらできない。
でも、可愛いから周りはチヤホヤするし、気を使うからどんどん増長して手に追えない少女に成長する。
どんな悪態も、つぐみは許される。
直射日光にも弱いから、夏でもコートを着て、帽子目深に被って、近所の医者まで歩く。
そういう映画を、二十代の時見た。
舞台になっているのは西伊豆の漁村で、なにもない街だ。映画館も図書館も、公園らしい公園もない。
わたしは、この映画の舞台になった「旅館梶寅へ夏になったら行ってみよう」と結婚したばかりの頃に家内に提案した。
なんやかんや子供が増えて、目がまわり。夏に部活が始まって、受験になって。それでも今年こそは西伊豆へなんて気もそぞろだった。やっと子育てが一段落した時。梶寅さんはもう廃業していた...。
私の西伊豆。松崎への愛は。純粋な憧れが、いつの間にやら家族との思い出の年月にまで昇華してしまっていた。
なぜこの街に行きたかったのだろうかと想うと。そこはそのまま昭和だったからだろう。
昭和の暮らしを子供達にも体験して欲しかったのかもしれない。テーマパークではなくて、本当の暮らしが継続しているそんな街を家族で歩きたかったのだろう。子供の頃の夏休み。それがまだそこにはある。
このつぐみという映画は、公開されてから何十年も、私が夏になるとレンタルしてくるビデオだった。それがいつの間にかDVDになり、ツタヤは閉店して、今はなんとインターネットで見られる時代になった。
映画の冒頭は、銀座から晴海方面へとカメラが浮遊しながら、そのまま伊豆の海へ飛んでゆく。
「これが郷愁というものだろうか」とナレーションが入る。
そのきっかけは、時々この街に、風向きが変わると運ばれてくる海の匂いだ。
この、匂いとか、声。なんていうものは一瞬にして私たちの記憶をその時代その瞬間へとトリップさせてくれる。
私の長年の念願が叶ったのは、2019年のことだった。
一年がかりでセットアップを続けていたベスパ完成ツーリングの舞台として。
走り始めは、とてもじゃないけど町内から出れないんじゃないかという感じだったベスパが、だんだん信頼できるようになってきて、県境ごえもできるようになって、いよいよ大冒険として選んだのが、往復で600kmの西伊豆松崎、つぐみの街を訪ねることだった。
これは30年来の夢を形にする行為だ。そこから懲りずに4年間通った。
よくわからないお客さんは、「なんでシバタはベスパで伊豆に行くのか?」と疑問に思っているようで。私のこうした思いは全く知らない。私もわかりそうな人には少し語っては見るものの、わかるはずはないと知っているから、あまり深くは語らない。
ここへ行くたびに私は映像を撮影する。
映画のシーンを、そして自らの心象を映し止めるために。
松崎の凄さは30年前の映画の頃とほとんど変わっていないところだけれど。そこにはもう梶寅さんも、つぐみも歩いていない。そこには私ひとりがポツンと取り残されている。まるで無人の街のようだ。
桜の朝に松崎を歩いた日のことは忘れられない。
それはまるで自分自身がつぐみになって、街の空気を吸っているような錯覚を覚えた。
この街からけして出ることが叶わなかったつぐみの気分が少しわかった。
良い街だ。きっと今でも。永遠に。



