里伽子にふりまわされたい
- shibata racing
- 7月11日
- 読了時間: 3分
男子諸君には、浅倉南に癒されたい層と、武藤里伽子に振り回されたい。という願望が存在します。ほとんどの方々は、浅倉南に理想を重ねるのかも知れません。しかし、そのわずかなマゾたちが、30年待った映画が、このたびリバイバル上映されました。

2025年7月11日
テレビ放送から30年。ある意味封印されていたスタジオジブリの名作が、「海がきこえる」でしょう。
なぜ再放送されないかという議論がありますが、この作品が72分であることや、内容に時代背景が投影されているなど。色々の事情が絡み、あれほど頻繁に見ることができる、金曜ロードにも、出てきません。これが、マニアの中に妄想を呼び覚まし。この作品以降に生まれた若者層には、幻の作品となったのです。
一昨年、限定的に劇場公開されたのを皮切りに、静かな波が、この作品を押し上げて、いよいよ全国で、限定上映となりました。これを待ち続けた私も、昨日、劇場で見ることができて、一安心です。私も、当時、コマーシャルまたぎで、テレビで見たのと、思い出したようにツタヤでレンタルしてみただけでしたから、スクリーンで里伽子のビンタを受けたい衝動にはかられていました。
この作品の評価は真っ二つで。猛烈な支持者か、評価なし。または嫌悪感。のような意見すら聞きます。
そのわけは、そのリアルさにあったでしょう。ヒロインの傍若無人っぷりに。「どこがいいのか訳がわからない」という層と。私のように、ツンデレのほんのわずかなデレに、負けてしまう層とがいた訳です。
スクリーンで見るこの対比は、一層強烈で、ほのかで、あたたかです。
エンディングの「海になれたら」をサラウンドで聴くとき。不覚にも涙する。この意味のわからない琴線のゆさぶられかたこそが、この作品の魅力でしょう。
なぜジブリは、これを封印していたのか。もしこの若い才能を、そのまま伸ばしていたら、現在のジブリの瓦解も免れたかも知れません。しかし、もうアニメ界は全く違う価値観で動いており、ジブリという一つの時代は、歴史の中に記録されるシステムのひとつになったのかも知れませんが。
初めてみた映画が、東映まんがまつりの「長靴をはいた猫」だった私は、宮さんと共に時代を生きた語りべで。ひとつの時代の仕事納めとも思える節目で、また「海がきこえる」を劇場で観れたことに感謝。
わずか三週間の限定公開です。興味のある方は、里伽子に振り回されてみる夏を、楽しんでみてください。オススメはしないけど、みて損はないでしょう。
人生で、浅倉南はいなかったと気がついてしまった皆様。武藤里伽子は、わりと近くにいたりしますよ。