陽炎のたつあたりで
- shibata racing
- 4月10日
- 読了時間: 3分
里の桜も一段落したようです。ここから天気が崩れて、せっかくの皆様の週末のお花見に、文字通り水を差す感じ。
私の桜狂いは、今から40年前、ある一本の映画からはじまりました。

2025年4月10日
石段に花を抱えた女性が立っています。丸髷に染め上げの着物を着た、美しい女性です。
一緒に病院に行ってくれないかと、男は言われます。
先ほど角にお婆さんが立っていて、一人では恐いのだと言います。
これは鈴木清順監督の映画「陽炎座」の冒頭です。
その少し前、「ツィゴイネルワイゼン」という映画が好評で。
大正シリーズ第二弾として、泉鏡花原作の陽炎座が選ばれました。
私はこの映画を18歳の時に、一人で映画館で見ました。
他に客は二人。若い女性と、怪しいおっさんでした。そのおっさんは、女性のそばに座ります。
それを嫌だと思ったのか、女性は席を移ります。するとまたそのおっさんが近くに行きます。
そうこうしているうちに、場内が暗くなり、おもむろに映画が始まりました。
そこで、先ほどのシーンです。
私はその時、初めて鈴木清順を見ました。
不思議な台詞回しと、カット。前後脈絡がないような展開。子供の私は衝撃を受けます。
男は女性に手紙で金沢に呼ばれます。
どうやら心中するらしいのです。
男が一人歩いていく横には、満開の桜が、風で散って、紙吹雪のように舞い踊ります。
このシーンです。
その時から私は桜というものに異常な執着を覚えるようになりました。
ほんの一瞬の儚さ。それはまるで陽炎のようです。
私が桜を追いかける時。そこにはいつもあのシーンがフラッシュバックのように現れるのです。
さあて、ここから桜はより寒い場所へ移ります。
私のさくら追いは、もうしばらく場所を北へと変えながら続くのです。
皆様にも懲りずにおつきあい願えれば嬉しいです。
ここは、私のとっておきの場所です。まぁ誰もいませんよ。
提灯もないし、屋台もない。こういうところが、一昔前の日本にはそこいら中にあったのです。
竹久夢二に入れ上げていた二十代の頃。期待を胸に意気揚々と観に行ったのが、鈴木監督の「夢二」でした。
結果は散々で、徹底的にはずされた思いがありましたが。
生前、監督のインタビューで。
「脚本通りに撮ったことは一度もありません。絵コンテも書いたことはないねぇ。そんな映画ちっとおもしろかない。お客をアッと言わせなきゃぁね」とおっしゃっていました。
そういう目で「夢二」を観直すと。その精神は全編に貫かれていたんだなぁ。私は子供でした。